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2015年06月12日22:49

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工藤公康の言の葉(6月13日)

「プロである以上は、自分の見せ方、伝え方はとても重要だ。それが分かっている人は矢張り強い。自分の能力を引き出して居る。」(工藤公康、現ソフトバンク監督)

 

 工藤氏は西武、ダイエー(後のソフトバンクホークス)、読売ジャイアンツの日本一に貢献。生涯成績は224勝、最優秀防御率4回、最多奪三振3回と数々の成績を残して居る。彼は幾つもの球団に行ったが、その中で最も意識したのは自分の見せ方だった。最初に行った球団は西武で、まだまだパ・リーグの中継自体少ない時代だったから、ヒーローインタヴューでいかにして観客が喜んでくれるかを意識したという。次に行ったホークスでは勝てるチームにすることが目的だったから、憎まれ役、叱り役を買って出たという。

 工藤にしても、落合にしても、イチローにしても、松井にしても、夢を売る商売をしていながら、一般サラリーマン、OLの勤労者を馬鹿にしたことはなく、「むしろ我々(プロ野球選手)よりもダイナミックな仕事をしているのではないか。」と言っている。

 では一体プロとは何だろうか。

 最大公約数は「おカネをもらって仕事をしている全ての人たち」ということになるだろう。ならば見せ方を我々も考えた方が良い。
 
 例えばプライドが高いくせして人一倍繊細な人がいたとしよう。まあ、よくいる人だろうと思う。この人が見せ方を変え、自信に繋がるようにするにはどうしたらいいだろうか?先ず繊細であることは必ずしもネガティヴに考える必要も無いということだ。今の世の中、繊細さを必要として居る職種はたくさんある。カウンセラー、デザイナー、作家、文筆家、音楽家、広告代理店の企画・・・。

 どれもこれも無神経で他人の聖域に土足で入って来る輩には絶対に出来ないものばかりだ。

 そこまで意識改革が出来たら、次に工藤氏の云う「自分の見せ方」が重要になってくる。他人からの目を意識的に変えることである。他人が繊細で傷つきやすい人、というイメージだったら、当然他人はその人をその通りに接してしまう。こういう人は、繊細さを敢えて無くす必要はない。寧ろそういう面も温存しつつ、いや、タフで積極的な面も持つ、いわはギャップもあるぞというところを見せることだ。

 一カ月間で良いから、猛烈に働いたらどうか。休日も返上し、疲れた表情も見せず、はつらつと働くのだ。こうすると、新たにその人と会ったら、「物凄くよく働く人。責任感もある。仕事熱心。」という印象を抱くに違いない。自然と「デキル人」という印象をもたれて行くのではないか。
 反面、繊細で弱い人というイメージは忘れ去られていく。寧ろ、この人の場合、繊細な部分が評価されるようになる。「優しい」、「気配りができる」、「思いやりがある」と。

 ギャップは或る意味魅力でもある。30代の頃、おつきあいさせて頂いていた人は、思慮深い、女性らしい、書道の師範だった。それでいて厳粛な人ではなく、相手の挙動、話にゆったりとあわせてくれる、上品さと優雅さを持っていた。「あてにおおどか」(おっとり優雅)な人だった。しかし、彼女の愛車は何とスバル・インプレッサWRX・STI。ポルシェ並みの加速性能を誇り、国産車では屈指の動力性能があった。スピード違反で捕まることはよくあり、免許証が何枚あっても足りないと思ったというほどだ。あわや免許取り消しの速度になっていたので、慌てて停止したら、お巡りさんも彼女のような女の人がまさか降りてくると思っていなかったようで、「社会距離不保持」で大負けしてくれたという。これなどはギャップである。

 出来ればそういう魅力を持った人になりたいものだ。それは一見ネガティヴと思えることに対する姿勢でガラリと変えられるのである。

 最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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