先日マイミクさんと、
「“Kバレエは高い”という認識は、そろそろ改めるべきだ」
という話をしました。
そもそもKバレエが、
「高い」と言われるようになったのはなぜか。
創設当時のKは、踊る芸監を筆頭に、
キャシディさんや優れた外国人男性群舞、
ダウエルさん、デュランテさんといった魅力的なゲストなど、
見どころはいろいろあったものの、肝心の女性陣が、
直線的でちまちました動きの体育会系だったため、
バレエ団としての実力は、総合すると、
新国や東バとおおむね同じレベルでした。
そのころのバレエのチケット代は、S席で比較すると、
国内のバレエ団が1万弱〜1.3万、
海外からの来日バレエ団が1.6〜1.8万でしたから、
Kバレエの1.8万は、
「実力は国内並みなのに、チケ代は海外級」。
加えて席種割も問題で、
S席の範囲が広く、B席(1万円)までしかありません。
こうなるともう、
熊さん一個人の熱烈なファンでもないかぎり通う気にはなれず、
「実力は(当然)海外級、だけどチケ代は国内並み」
というマールイ(ルジさんの日でも1.5万)を例に出すまでもなく、
「Kは高い」というイメージが定着したのでした。
しかし昨今、海外バレエ団の来日公演は軒並み2万を越え、
実力派の著名ダンサーが次々と引退し、
レベルも言われているほど高くはない。
国内バレエ団も、価格据え置きながら(新国はやや値上げ)、
新国と東バは世代交代期でレベルダウンしています。
けれどKは、この2、3年で急激にレベルアップを果たし、
チケ代も据え置きですから、そうなるともう、
ここの公演を「高い」と決めつけるのは、
「情報が古い」と言わざるを得ません。
問題は席割ですが、先日、こんな話を耳にしました。
新国の4階席センターは、C席4200円と、
会社帰りにふらりと寄ってみようかな、という気にさせる価格です。
ところがその1列目で観た人によると、座高が低いと手すりが邪魔で、
それこそ「マノン」で言えば、机より下が見えず、
非常にストレスを感じたとのことでした。
一方、Kバレエには、
熊さん出ないけどS席1.2万円、という日があり、
その日は席割もC席(6000円)まであります。
(年末の「くるみ」は一律1.1万円)
もちろん、オーチャードのC席など、
恐ろしくて試そうとは思いませんが、
「Kは高くてちょっと」と敬遠されている方は、
まずはこのS席1.2万でご覧になってみてはいかがでしょう。
さて、本題。
新国の実力に懐疑的な私は、
最近すっかり初台から足が遠のいてしまいました。
チケット代の絶対値は安いけれど、パフォーマンスを勘案すると、
相対的に「高い」と感じていたからです。
今回もパスのつもりでしたが、
さる筋からチケットをいただけることになり、ならばと赴いたところ、
やはり舞台は生もの、自分の目で観ないといけない、
そして世界は広いということを、改めて痛感しました。
まず新国のダンサーたちですが、先日のシュツットガルトと違い、
おおむねどのダンサーも、最低限の基礎は身につけているということ。
日本にはなんちゃって教師があちこちにいる代わり、
本場で学んだダンサーや先生もいて、
大手や老舗に所属していれば、
上を目指せる環境は一応あるということなのでしょう。
群舞の足音も静かでした。
古典になったらわかりませんが、
26日の舞台は丁寧に踊っている印象を受けました。
配役表に名前のないダンサーの中にも、目をひく人がちらほら。
スカート姿の群舞に混ざり、ひとり男装で踊っていた娘は誰だろう。
良い動きをしていました。
もっとも、ここは群舞にさりげなく主役級が混じったりもしますから、
もしかしたら贔屓のダンサーかもしれませんが。
マールイの真似をするなら、ほかにもすべきことはあるだろうに。
脇役たちも、ただぼーっと観ているのではなく、
いろいろ小芝居を工夫しているのも良い傾向。
これもヴィントレー効果でしょうか。
残念だったのは、湯川さんに代表される、旧来の小さな踊り。
彼女はヴィントレーさんに目をかけられるだけあって、
表情豊かな演技や柔らかな腕使い、
音楽に乗った流れるような動きをしたかと思えば、
止めるところではぴたりと決めて流さないなど、
良いところはたくさんある人ですが、
唯一の弱点が最短距離を無機的に移動しがちな手足の使い方。
このため、パによっては手足が短く見えてしまう。
背の高い人は、たいてい手足も長いから、
「動きで手足を長くみせる」ということを、
あまり意識しないのでしょうか。
背の低い人やロシアで学んだ人たちは、
日本人のDNAを熟知しているため、
踊りが大きいのと対照的です。
新国のダンサーは、男女問わずスタイルが良いだけに、
手足を長くみせることを意識すれば、さらに見栄えがよくなり、
動きもしなやかになるのに。もったいない。
また、どの役もそこそこ上品にまとめてしまう、
という点も変わっていませんでした。
良くも悪くも、それがここの特徴なのですが、
作品や役の理解度という点からみると、どうなのでしょう。
マクミラン作品の特徴はリフトだけでなく、
「そういう設定」の一部お上品キャラを除くと、
どの登場人物も、時に醜く思えるほどに「生々しい」。
慈愛や恋心だけでなく、嫉妬や欲望、憎悪など負の感情も、
隠すどころかむしろ強調されているからで、
何をやっても綺麗にまとめてしまう新国ダンサーたちにとって、
実は一番苦手とする振付家なのです。
たとえばムッシュが金貨をばらまく場面。
(観た日はトレウバエフさん。
彼は自分の役柄を、きちんと理解していました。さすが!)
乞食たちはそれを拾い集めるわけですが、
舞台から心の中に聞こえてきたセリフは、
「一個でも残しては足を取られて危ないからね、
みんなで手分けしてすべて回収するのよ」でした。
でもこの場面、
金貨は生きるため、生き延びるための大事な収入のひとつ、
他人をかきわけ押しのけてでも意地汚く集め、
時には醜く奪い合う、というのがマクミランの意図のはず。
2010年の来日公演では、誰が決めたのかは知りませんが、
ロイヤルは恥も外聞もなくプティパの古典を捨て、
「リーズ」「うたかた」「R&J」と得意技で固めてきました。
NYCBとパリオペの公演では、
バランシンやヌレエフ観るなら、別にここでなくともいいや、
という気分にさせられましたが、
この時のロイヤルは、さすが本家は違う! と納得の舞台。
それと比べると、まだまだ脇が甘い。
Kがアシュトンに関しては本家と肩を並べつつあるのですから、
新国にはもうひと頑張りしてほしいところです。
そして主役のふたり。
サラ・ウェッブさんとコナー・ウォルシュさん。
なんか聞いたことあるようなないような...。
新国が「マノン」を演る、と聞いた時、
「ぜひ、ゲストに島添さんを呼んで!」
とヴィントレーさんに直訴しました。
するとヴィントレーさん、
「ヒューストンの2人もいいから、観てね」
とのたまう。
う〜ん。
ヒューストンはたしか80年代終盤に、
マクミランさん自身が参与になってるから、
当然レパートリーに「マノン」もあるはず、
そこのダンサーなら踊り慣れてはいるでしょうが、
ヴィントレーさん、ゲストの引き、弱いからなあ。
それに前回観た時は、フェリさんとテューズリーさんだし。
というわけで、「今回はパスしようかな」
になったわけですが、結果は。
「観に行って良かった!」
(チケをくれた方に大感謝!)
2人とも、風体・踊りのスタイルともに派手ではないから、
見た目重視の人には受けないでしょうが、
私はすっかり気にいってしまいました!
とにかく動きがしなやかで正確、かつのびやかで、
音楽ともぴったり合っているのです。
(そういえば、東フィルがこの夜も良い仕事をしてくれました。
本当に3軍、リストラされたのかな?)
しかも彼らの凄さはその先にありました。
まず、ステップ間の「つなぎ」が素晴らしい。
ひとつひとつのパが上手い人はたくさんいますが、
パとパの間やポーズとポーズの転換時に
ぎくしゃくしてしまう人はベテランにも少なくない。
というか、そこを綺麗に出来るかどうかが、
ダンサーのレベルを測るひとつの指標となります。
2人はそこのところがほれぼれするほど見事でした。
これは相当鍛えているにちがいない。
そして踊りから、
驚き、喜び、後悔、逡巡、怒り、といったさまざまな感情が、
手に取るように伝わってくるのです。
踊りでそうなのですから、2人の演技力は推して知るべし。
素晴らしいダンサーは、まだまだ大勢いるのでしょうね。
世界は広い。
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