柵の中に沢山の石碑があります。
遠いので良く読めませんが。
扇塚
初代花柳壽輔略博
出生、文化四年二月二十九日、芝・新明にて出生。
六才、文政九年、四世西川扇蔵の許に入門し舞踊修行の道に入る。
八才、文政十一年、七世市川団十郎の鑑識に叶い市川鯉吉の芸名にて舞台を踏む。
十九才、天保十年、旧師西川扇蔵の許に復帰し、西川芳次郎として振付師の第一歩を踏み出す。
二十五才、吉原の玉屋小三郎より俳号の「花柳」なる二字を与えられ、以後花柳芳次郎と称す。
爾後、七世市川団十郎が嘉永二年、当時市川海老蔵を名乗り、その俳号「寿海」に因みて「壽」の字を贈られ、二十九才にして始めて花柳壽助を名乗り、後に「助」を「輔」に改め、と共に、諸流に冠絶して振付の第一人者として謳われる事、実に半世紀、その作品は一千五百種を超え、就中「土蜘」「茨木」「戻橋」「舟辯慶」のごときは不滅の傑作と讃される。
八十三才、明治三十六年一月二十八日、花柳流の祖としての偉業を樹て、門弟、縁者に見守られてその生涯を終わる。
初代中村吉右衛門句碑
「女房も同じ氏子や除夜詣」
等があります。
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