御幸の芝と雨師後醍醐天皇が吉野の行宮におられた五月雨の降り続くある日のこと、大勢のお供を連れてこの辺りへ御幸されると、空模様がますます怪しくなってきました。かたわらの観音堂に入ってしばらく休まれるうちここはなほ 丹生の社にごど近し 祈らば晴
八大龍王摂社 牛頭天王社 吉野八社明神の一。 夢違観音または雨師明神である。『新葉集』後醍醐天皇 この里は 丹生の河上 ほどちかし いのらばはれよ五月雨の空
大塔宮仰徳碑の後ろ、更に丘の上、火之見櫓があります。四等三角点もあります。中千本、435.05メートルとあります。中千本は山の名前?大塔宮方の武士たちが合戦の合図の狼煙を上げた所とされています。
この大きな位牌は、後醍醐天皇の建武の中興に寄与した親王の遺徳を讃えて、皇紀2600年(昭和14年)に建てられました。
水分神社から金峯神社・西行庵へ左の坂を登るとすぐ右手が桜の展示園、しばらく行くと後醍醐天皇を吉野山へお迎えした吉水院宗信法印の墓、そして御幸の芝へと続きます。そして辰之尾の家並みを過ぎると「上の千本」です。このあたりから次第に展望のきくいい
遅ればせながら2015年8月12日の日記を記します。この日は前から気になっていた、吉野の女人結界を探しに行きます。奥千本へは何度も訪れてますが、中々その先までは行けませんでした。今回はタイミングが合い、行ってみようという事になりました。7時