今日は鍼灸治療に行きました。黒い血なんかも汲んで頂いてたいへん気持ちよくなりました。中国6千年の叡智とやさしい鍼灸師さんに感謝します。ウンこれで営業妨害にならない。この前のように、院長に槍で突かれたけど 乾いたらしくあとで血がついてなかった
この日記、ざっと ふりかえってみると、くだらないことを書いた日がほとんどで、自分なりに成功してると思う。あるこわ〜い人のページを, "日記でなくツィターなら訪問者はばれないよ" と言ってくれる人がいたので覗いてみた。マジ、こわいので、すぐブラウ
ぼんやり地下鉄の中吊り広告を見ていると、赤川次郎:四字熟語殺人事件、という本の広告があった。殺人事件は四字熟語だし、四字熟語は四字熟語だ!!五字熟語も六字熟語も 四字熟語で 百字熟語もそう!そこで 概念をはっきりさせねばならない;すなわち、
これも むかしむかしの ほんとうにあった話だよ、いぇらいしゃん(夜来香) という曲は戦前からあり よく知られているけれど それとそっくりのメロディーで 君再来(こんな字だったと思う)という曲をテレサテンが 20年くらい前? 歌っていた、私は
Lady Gaga というのが人気らしい。このMIxiにサインインするところにも 醜い姿がのっている。どこかで聞いたけど 歌はよかった。1980年ころGAGAN GURAGRO というセミナー(のまねごと)を主宰した。Seminaire deGeometrie Algebraique et Geometrie ANa
むかし、42,3歳の頃、横河ヒューレットパッカードというのは栃木か群馬に牧場を持って 競馬関係、競走馬の飼育・訓練や搬送その他、のマネッジメントをする会社だと思っていた
ずいぶん久しぶりに 鶴巻温泉から弘法山へ登りました。夏の終わりの蝉たち;つくつくぼうし、ひぐらし、かなかな蝉(=ひぐらし?)、の澄みきった声が降りそそぐお堂の横でぐっすりと昼寝をしました。ヒグラシ(かなかな?)は河鹿蛙と似たすきとおった声で
北摂のある中都市の駅前で:店の人「・・・・・」私「刺繍をたくさんつくりましたね」店「・・・・・」私「 ありがとう、いまどきこんな広告ないですね?」店「アナクロですみません」私「ところで何やさんですか?」店「ミシン屋です」「どうも失礼しました
今日 ユングフラウヨッホ鉄道でモンブラン山頂駅まで行く美しい風景をテレビでやっていて見ていて思い出したこと:1976年3月義父母と5歳の長女と4人でパリから出発して、イタリア、スイス、ベルギー旅行をした。細君は”たまたろう”がマイナス3か月
昨日の 後半、マダム達は余裕ができて 水も飲めるので ! 細かったのが太くなる、というのはおかしい。欧米人、アラブ人には 日本人やベトナム人では考えられないくらい太い婦人が老若にかかわらずいる(3月31日の日記の最後の写真のMetro Place d'Itali
昨日 日本はやはり湿っていてヨーロッパはすごく乾燥していることを書きましたが、乾燥していると各個人の体内水分も少なくなるのだろうか?そう考えると 日本では水のように鼻水が落ちるのにパリ(Paris)にいた時は鼻の周りがパリパリ(ParisParis)していた
鼻シリーズ続きですね! 12月22日、3月1日と進化の問題として論じた(読んでください)けれど、今日は日常の問題.要するに 鼻水が出てしかたない。パリでは花粉症の人を見なかったけど、やはり手入れしない森林が花粉症を引き起こすので、フランスに
パリから帰ったのが4月1日(土)夜0時ころで、日曜も寒いのに日本だから寒くないと思って薄着で暖房もつけず鼻水を流していたら、ひどい風邪になり、肺炎寸前だとおもった。月、火、水と時差の影響もあり一日中眠り、まだ変な咳がでる。眠っていると退屈な
さて メニるモンタンの長い壁の新しい落書きは古いのは23日の日記にあったように Mesnagerたちの共作でしたどちらがいいか? まあ世代交代と思えばこんなものでしょう。わが町Bellevilleでは Ben の壁芸術は もう世界的に有名なので 保存決定がされた
パリコンミューン140年記念:庶民大学と20区の集い、に行きました。12時からピッツァと飲み物というのに出席は変なので、まずPere-Lachaise墓地の外壁のコンミューンの思い出レリーフに挨拶に行き、カフェで昼食。2時からの<悲劇的な終末の場所として
La Commune; 1871, Paris Capitale insurgee---パリコンミューン;1871年、蜂起する首都パリの展覧会がL'Hotel de Ville パリ市役所で開かれてるので見に行きました。Napoleon III世がセダンでプロイセンの捕虜になり帝政崩壊、次の第3共和国が1月にプ
朝の気温は5度、風がふくのでそれより寒く感じる、けれどあちこちに桜がさきはじめました。こちらの桜は寒くてもさくようです(Boulogne Biencourtに郵船亭を見に行ったときのように:1月30日日記)。風邪の咳・痰はこれで2週間、ベルリン・ポツダムに行
春になったようです。首になにも巻かなくても寒くない。風邪をひいて鬱陶しいのでノートルダムに入って気分を落ち着き高揚させます。晴れるとステンドグラスは一段と美しいのですが写真にするときはすこし暗い方が映えるようです。これまでも何枚か枯れ木とノ
ポツダムでのシンポジウムに出るため行きはケルンcollogneで、帰りはFrankfurtで一泊することにしました。ケルンは初めてで あのカテドラルをみることができました。圧倒的に高いゴチック様式ですが外壁の彫刻などパリのノートルダムほどには ちりばめられ
11月08日に人類の2足歩行への移行について新説をだし12月09日に誤りに気づき撤回しました。また12月22日には「70近い老人一人の進化も人類の進化というのだろうか}という今西氏の進化学説にとってちっとも大問題とならない問題と共に鼻孔(主に鼻
Boulogne-Billancourt(ブーローニュの森のはずれの南端地区)を見に行きました。ちなみに、私はまだブーローニュの森に行ったことがないし、きっとこれからも行かないと思う。なぜかわからない。Metro9番のマルセル・サンバで降り軽快なステップで表に出ると
montmartre に行きました。写真のフニクラ、le funiculaire,からサクレクール神社(こう呼ぶ理由はあとで)の右にまわり、ユトリロの風景の路地をさがしてPassage cottin,コタン抜け道、に行きました。このむこうにサクレクールが見えてユトリロの絵のとおり
いよいよ この日記も(かってに)クライマックスを迎えます。 まずシャンソン Le temps des cerises を聞きましょう。これはアニメ”紅の豚 Parco Rosso" の中で加藤登紀子が歌っていたので聞いた人も多いでしょう。この有名なchansonは表題の下に ”パリ
近くにいるのにまだ見てないペールラシェーズ Le Cimetiere de Pere-Lachaise を見に行きました。10月に行ったのですが構内に入ってみて、いったいどこに行けばモリエールやイブモンタンの墓があるのやら、ただ茫然として映画:第3の男、のラストシーンの
Mont Saint Michel に行きました。遠いし一度行ってるので今回は行けなくてもいいと思っていたらサトコサンet son mariが新年旅行でやって来て旦那さん(le mari)は仕事で帰りサトコサンと3人でパリから日帰りの格安ツァーで行きました。NHK世界遺産や絵葉書