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2011年03月27日16:08

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パリ20区庶民の集い

パリコンミューン140年記念:庶民大学と20区の集い、に行きました。
12時からピッツァと飲み物というのに出席は変なので、まずPere-Lachaise墓地の外壁のコンミューンの思い出レリーフ
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に挨拶に行き、カフェで昼食。2時からの<悲劇的な終末の場所として知られている私たち(20区)のペールラシェーズの歴史の1ページを共に考える討論会>に出席するため頃合いを見ていきましたが皆ピッツァを食べていて3時近くまで会場に坐っていました。5時からのアコーディオンとシャンソンの歌手Riton la manivell(手廻し・レフレインとでも訳すのでしょうか)さんもいたので写真を一枚。
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会はまずコンミューンの歴史の映画から、続いて、この時代のパリ住民の職種の比率や、コンミューンの理想により改革された事柄、たとえば 労働賃金の性による差別廃止、8歳以下の子供の労働禁止、納税額によらない選挙権、婦人参政権、カソリック教会と政治の分離、などなど近代社会が獲得した権利の最初の主張が提出されたことの解説、が婦人会の方たち?から報告されました(ちょっと高校の文化祭風ですが堂々と報告するところさすがparijennes).
この日の報告にもあり、マルクスの資本論のどこかの註で読んだことがありますが、このころのイギリスやフランスでは8歳以下の子供も親と一緒に工場に行き15時間働いていた、このためクル病になったりして普通に成長できない子供が多かった。
(子供がそのように育つ悲惨さを想像ができない資本家の”鈍さ”! 鈍い人間は いつも私利私欲に他の人を使っている)。 また男の労賃は一日4フラン、女は50セント(1/8).


報告の一つに卓越した女性 Louise Michel の生涯がありました。

http://www.google.fr/imgres?imgurl=http://www3.ac-nancy-metz.fr/eco-m-l-michel-blenod-les-pam/IMG/jpg_louise_michel.jpg&imgrefurl=http://www3.ac-nancy-metz.fr/eco-m-l-michel-blenod-les-pam/spip.php%3Farticle107&h=283&w=222&sz=29&tbnid=rbIg5ZArV9JLrM:&tbnh=114&tbnw=89&prev=/images%3Fq%3Dlouise%2Bmichel&zoom=1&q=louise+michel&hl=fr&usg=__-1ftCdzsBLsrsaclQkQ89RAXSO0=&sa=X&ei=7JiPTcaSJ9XC4gbn2rG0Cw&sqi=2&ved=0CEEQ9QEwBg

1871年にパリ・コミューン代議員、最前線でも活動し、コンミューンの崩壊した5月に拘束されてニューカレドニアへと追放処分となる。1880年にフランスへ帰国した際には非常な人望を獲得しており、プロレタリアを支援するデモや集会を数多く先導した。幾度も投獄を経験するが、フランス全国において影響力のある政治活動を継続し、74歳で没するまでこの姿勢を変えなかった(Wikipediaより抜粋)。
nouvelle Caledoniaの監獄跡の映画も見ました。
5時半ころからアコーディオン、コントラバス演奏でRiton la Manivell(手廻しレフレイン)さんが大きな身振りで唄いました。最後はもちろん
Quand nous chanterons le temps de cerises
さくらんぼの咲くころ、で全員が自然に合唱しはじめ感動的でした。

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さらにこの後 サンドウィッチと葡萄酒のパーティがあり誘われましたが20区からほど遠い人が一人だけいるのも変なので遠慮しました。
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