さて いよいよ 秘蔵ネタ登場20代後半の頃 静岡で 細君が製茶店舗にアルバイト(今の言葉だとパート)に行っていたとき、茶店舗では海苔もあつかってるな〜など考えていたら、そうだ 海苔道 を起こそうと思うに至った。私が利休に相当する、わたし以前
おそらく 東京1おいしいそば屋に行った(春頃の すうやん さんの三色蕎麦 Mixi日記参照 )食べていると 細君が盛んに感心している。「これと 1万数千円のそばと どっちがうまい?」と聞いたので思い出した。1995年?に松本に行き 夜、酒を飲ん
1984年3月はじめて高知へ行ったぜよ。川之江の知り合いを訪ねて そのあと高知の彼の義兄を訪問した(これは 高見知佳を訪ねて3千里という物語の一部になるきィ、機会があれば書くぜよ)。 その方は大変な資産家で 有名な技楼(キンキローみたいな名で
バイオリンの弦をいいのに変えようと Obligatoという赤丸模様の袋に入った弦をひと揃い買ってきた。弦を張り終え G,D,A線と調律して E線になると 弦の先が ねじ(何というのだろう? コック?)の穴になかなか入らなくて いらいらしていたせいか 張りす
1965年頃は 苺 は庶民には早くても4月半ば以後の果物だったはずだ。1967年東京から博多に行く寝台急行で同室の2人が話しているのを聞いていると、片方は静岡県清水で農業をしていて、「苺の苗を富士山の3合目で育てて3月になると清水(駿河湾の
マンドリンを持った大尉 という映画があった。ギリシャの漁村にナチの占領軍としてイタリアの軍隊が来る、その隊長が背中にマンドリンをしょっていて 休憩時に兵士の合唱訓練などしている。村にはアルバニアのナチに戦勝して戻ってきた山岳レジスタンスの青
そこで 慶応大学だが高校生の頃 ラジオで 皆の歌のような番組で、慶応大学マンドリンクラブの皆さんによる演奏です、というのが流れていた、 軽やかなマンドリンの音色は (知らない)イタリアを思わせ、ともかく すばらしく憧れをかき立てた。これが