年末・正月に猫をあずかっている。おたがい干渉しないまま もう何年にもなる。老齢の身がすこし気の毒だが、まだ 高いところにやすやすと跳び上がる。威厳もついてきたようだ。
知らない言葉を学習するのはむつかしいとされているが、赤ん坊の気持ちになればどんな言葉もすぐに(3・4年で)わかるようになる。これについてはいろいろ考えたのだが 長い論説になりそうなので今は書かない。またいつか。今日はすこしはずれるけどやはり
三味線には 各地方の文化(習慣)に特化して進化した弾き方(および楽器の形態)があります。わたしの観察では 津軽と文楽は太棹を使い、津軽は弦をカンカンに張って叩きつけるのに反して、文楽ではゆるゆるに張ってビョビョルーンとかやってます(相方の浄
ひらかな盛衰記という文楽を見てきました、実は文楽を見るのは(聞くのは)初めてです。関西の中学・高校には狂言や文楽がやって来ることがあるので高校のとき講堂で見たような見たことがないような、狂言はよく覚えていて「ビリリと破る〜」と言って襖をやぶ
バレー・オペラ・歌舞伎はつまらない。 芸術には " 意外性、驚き " が必要、これには皆賛成でしょう、というより そうでなければ芸術ではない。若い頃から何度もバレーやその他の舞踏を優れた芸術として好きになろうと努めたが、結局つまらないものだとい
(1) 朝食の準備をしながら ソーはラッパのソー と歌っている人がいたらおもしろいな、と思うと なんども笑いがこみあげ なぜ笑ってるか知られると変だし 抑えるのに困る(2) メリケン粉というのを聞かなくなったな〜 若い人は意味も
秋らしくなってきたので 「里の秋」を口笛で吹いたりしてると 小学生の頃の同級生の顔を思い出した。町からはずれ山の麓のほうに住んでいた。 何回か遊びに行き 刈り入れが終わって積まれた藁の塔の上から飛び降りて遊んだ。萱葺きの大きな農家に母親と2
今朝 寝覚めの夢で 試験に落ちる夢を見た.場所はパリだったように思う。窓のそとなんか見えていてなんとなくパリの風景だったか?? 階段教室だったかもしれない、なにか追試験はないような張り紙も見えた。日本に帰らないといけないから困っていたような
起きたら 咽喉の奥に異物感がある。 このような時はうがいをくりかえせば いつもなおるので ていねいにうがいをする。のどの奥まで水がまわるように意識しながら3回やる。 異物感はどうもとれない。 ひどくはないけど ちくちくする。 ひょっとしたら
子供達のあいだではいつの時代も恐ろしい話しが言い交わされている。あそこの角を曲がって黒猫を見たらやがて死ぬ、とか姿を消されるとか.私の町にも画家の家があり大きなガラス窓が2面に向かって張り出しており窓際に由緒ありそうな彫刻を置いたり色のつい
両脚を猛烈に虫にさされている。かゆみ止めにキンカンや副腎皮質ホルモンを塗っていて思い出した。1960年頃 関西にはキンカンがなかった。虫さされにはアンモニア水を塗っていた。就職して東京に来たら隣の部屋の2年早く就職した人が 僕をからかうこと
昨日の阪神はよかった!! 見始めた時は 雨で中断、3−2で勝っていたけど、どうせ 敵に点とられて9回一点差逆転負けや、テレビ消そうかな、コールドゲームになればこのまま勝ちやけど こんなに早い回でもあるのかな、などおろおろして やはり消すこと
細君: " パンを焼いてもらったらそこら中パン屑だらけ、コーヒーを淹れたら粉だらけ !! " 細君: " 家庭のことをなんにも考えてない !! "私: " 中学校の家庭科の試験はずっと100点だった!! "細君: " その家庭科の先生は 家庭というものが何かを知ら
フェリーニのアマルカルドをテレビで見ました。1974年シャンゼリゼ大通りの映画館で見たのが一回目です。1973年制作だから おそらく封切り。ものすごく感激して、その前に" 道" , ”甘い生活” と”8 1/2" を見てたのですが、それ以来、フェリーニによ
一度も聞いたことのない名字の人が現れると しばらくして(僕にとって)珍しいその名字を何回も見聞きする。 70年の人生で 又吉という名字を始めて見てしばらくすると野球選手にも現れ、昨日 駅の凶悪犯の一覧写真にも 又吉という名字のがいた。 姉歯と
ゴリラにはものすごく大きな眉庇(まゆびさし)がある。ネアンデルタール人や 人間でも第4進化を経ていない種には 眉庇(まゆびさし)がある。この100万年くらいで ものすごく混血してるので日本人にも ない人やまた すごく飛び出た眉庇の人もいる。
流しの下の扉の取っ手にタオルをかけておいて調理や洗い物のときに濡れた手を拭いている。本日、そのように腰を屈めたら洗い場のステンレスの縁におもいきり顎をぶつけた。見てる人がいたら わざわざ何を痛い目にしてるのだろう?と思うだろう。タンスと壁の
本日は国分寺の殿ヶ谷戸庭園と東小金井の江戸たてもの園に行くことになり、細君と出かける際 いつものように面倒をおこさないため すべての用意を済ませ 服も着替えてテレビを見ると、ちょうど”鞄を持つ女”という1950年代の映画が始まりました。クラウ
私が最初に作った料理らしい料理は コーンタン。戦後で食料のない子供の頃、アメリカ軍の移動の車列が道端で小休止し 兵士達がコンビーフの缶詰を食べているのを見て以来、コンビーフは憧れの食だった。新婚の頃、映画評論家の荻昌弘?と人事院総裁の奥さんと
カレーをつくりました。(1)じゃがいも、にんじん、たまねぎ切る。(2)たまねぎとにんにくを細かく刻んだのをオリーブ油で茶色になるまで煮出しておく、 (3)市販のブイヨン溶かしておく。塩胡椒した肉を鍋に入れ強火で焦げ目をつけたら、(1),(2)(3)を入れて
「靴のような型の胴の入れ物(アラジンのランプみたいなやつ)で長い柄がついている。押さえると梃子の原理で靴先あたりの見えないところに入っている物が切断されるらしい。小さなゴミが詰まってるようだから押し下げてみたらかなりの手応えがあり、なにかが
ジムのロッカーは2段になっていて背の高い人は上段を使うようだが僕は下段を使っている。泳いだ後、靴下を取ろうとかがみ 頭を上げたら 上のドアにぶつけた(帰ってから見ると血がにじんでいる)。上を使っていた人:「すみません、大丈夫ですか?」 僕:
ズワイ蟹をいただいたので菊姫山廃純米酒(吟醸でない)でいただいた。うまかった!!細君は蟹氷結が溶けるまでの間 卵かけ御飯なんか食べる!!唐津の盃・恩田のとっくり、が活きた(photoページで見てください)。
私はソーメン氏とメキシコの避暑地シハタネロでの会議で知り合った。彼はフランドルの巨漢で体の重みで膝を痛め歩けないのでさらに巨漢になっている。帰るとき空港へ行くバス停のそばでなにか麺類を「お前はおもしろい奴だから」というのでおごってもらった。
「科捜研の女」を見てるとやくざががケーキ屋の女主人を脅迫してるところに近所の青年が来て警察呼びますよと言ったら「なんやとこのアホもういっぺんいうてみい」と言った。それが面白くて細君に「なんでこんなこと言うの?」「なぜこの青年がアホかどうか知
美女の基準は意味がない、例えば美男の基準がないように・・・と力説する方がおられた。文科系の方なので反論しないようにしたけれど、それなりに正しいことが近頃わかった。つまり、男性支配の社会の価値基準で見ると”美女の基準は・・”となってるので、そ
今日 テレビで若手落語家が5人集まり焼き肉と酒で座談会をしていて、もと暴走族総長:滝川鯉斗、春風亭一之輔が出ていて国立演芸場提供。落語家志望だから馬鹿馬鹿しいことを言ってるわけでもなくドーデモイイ話しをしていたが、話題もなくなり「どーして暴
紅梅白梅臘梅が咲きました。例年、気がつかないうちに咲いてますが、また同時はなかなかないのに、やはり齢をとったからかな。