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2011年03月23日15:36

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蜂起する首都

La Commune; 1871, Paris Capitale insurgee---パリコンミューン;1871年、蜂起する首都パリ
フォト

の展覧会がL'Hotel de Ville パリ市役所で開かれてるので見に行きました。Napoleon III世がセダンでプロイセンの捕虜になり帝政崩壊、次の第3共和国が1月にプロイセンPrusse軍に降伏し、チェールThierが臨時政府首班となり講和条約を結び国防軍兵士に武装解除を求めますが 1871年3月18日に兵士たちはモンマルトル Montmartreの大砲Canonを引き渡すことを拒否、首都パリの民衆が蜂起して、臨時政府はVersaillesベルサイユに引っ越しをします。3月28日に選挙で選ばれた代議員により Hotel de Villeでコンミューン政府の樹立が宣言されます( 上の写真)。
あらゆる束縛と帰属を拒否した写実主義画家クールベ Gustave Courbetも代議員でした。さくらんぼの咲く頃の作詞者Jean-Baptist Clementの代議員写真はなく、このあたりが18区区役所主催だったらあるのにと残念。
この時から血塗られた週 la Semaine sanglanteの虐殺の1週間が終わる5月28日までがパリコンミューンと呼ばれ、その間のリトグラフと写真のパネルが展示されていました。
(血塗られた1週間については1月11日の日記をぜひご覧ください、またパリコンミューンの思い出とJ-B.Clementについては1月13日の抒情的な日記を)。

パリのほとんどの通りに敷石を剥がしたバリケードbarricadeが築かれ、その上や周りに共和国軍兵士が立っている写真が何枚もありました。またコンミューン政府は世界で初めて女性の参政権を認めた政府で、たくましい顔の女性代議員の写真もならんでました。わが町 Bellevilleからの国防軍gardes nationauxが2区の市役所前に到着したときのリトグラフや、モンマルトルのアメリのカフェの近くのPlace de Blancheの女性ばかりで守っているバリケードのリトグラフを見て感動しました。
5月以降の廃墟となったパリの写真が多くあり、19世紀末のパリは瓦礫の山だったことがわかります。
パリ市役所自身が、蜂起した首都をこんなに熱く語ることに驚きました。さすが〜。
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