結論から言ふと、ポエジーについて誰かに教授できる者など居ない。つまり、批評は不可能である。きみの詩が一時代のなにがしかの賞賛を得たとしても、それは僥倖である。その僥倖の上に居座り、きみが、誰かの「ひとりよがり」をあげつらふならば、すでにきみ
三年ほど前から、神経痛による足の指先の麻痺と、巻き爪の痛みといふ二重の苦痛によつて、靴のフィット感が全く失はれてゐた。自分の足サイズは甲高の27センチであつた筈なのだが、当時の自分の記述によると、靴を履くといふ行為が「死体袋に死体を詰め込む」
(K氏撮影)たしかに、わが町内は、蓋のされてゐない大小の側溝がいくらでもあつた記憶がある。市道と書かれてゐるのがどこなのかよくわからない。城西通りだらうか。
このかた、わがご町内の医者だつたらしい。往診中の交通事故で亡くなつてゐる。少年飛脚武丘のふもとをめぐる時秋はまさしく来にしと思ふこの「武丘」は、まさしくわが町の西に聳ゆる火山断層崖であらう。http://d.hatena.ne.jp/yamawata/20110112/1294837619
「ウスペンスキーは憂鬱さうに、状況は自分たちには不利で、こんな集團狂氣のまつただなかで何かやるのは不可能だと言つた。グルジェフの返事は意外なもので、彼がいかに「激しく、活氣に滿ちた出來事」を大事にしてゐるか、そしてこの差し迫つた離散をいかに
「クレイジー・ジャーニー」の「昆虫食の旅」を一日目のところだけ見る。私自身は、なにかを長く咀嚼してゐて、途中で、「いま長く咀嚼してるな」と意識しただけで嘔吐するたちなので、到底無理であらう。サバイバルの教科書には、調理されてゐない爬虫類、両
最後(いやはて)にその妹伊耶那美の命、身みづから追ひ來ましき。ここに千引(ちびき)の石(いは)をその黄泉比良坂に引き塞(さ)へて、その石を中に置きて、おのもおのも對(む)き立たして、事戸(ことど)を度(わた)す時に、伊耶那美の命のりたまはく
子供のころ、少年少女世界ノンフィクション全集だかなんだかの、タイタニック沈没の話のなかに、ウォッカをしたたか飲んで、あの氷の海で生き延びた男の話が出てゐた。私は子供だつたので、ウォッカを飲んでみることは出来なかつたが、それ以後、銭湯の水風呂
わが某男子中学の修学旅行は、観光バスで出雲観光ののち一泊め、翌日京都観光ののち二泊め、帰路は国鉄で鹿児島まで。だいたいこんな感じだが、一泊めが、どこの旅館なのか、出雲観光の前なのか後なのか、行きにも列車を使用したのか、判然としない。観光バス