mixiユーザー(id:345319)

2008年11月12日10:33

15 view

中途半端

田母神氏「談話の正体」に憤る
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=663610&media_id=2

ちょっと暴走気味の田母神前空幕長なのだけど、単に個人的な資質の問題に帰するには複雑な問題である。

問題となっている論文を未見のままでコメントするのも気が引けるが、報道を見る限りは戦前の言説の焼き増しみたいなもので、目新しさがあるわけではなさそうである。

内容も自分の国防観やイデオロギーに史実を無理やり合わせようとする一方的なもので、歴史解釈としてはかなりお粗末なような気がする。

論文の内容自体よりも、自衛隊のトップがこのような意見を公にしたというところにこの論争の意義があるととるべきであろう。

でも、日本の中途半端で矛盾した国防政策に実際にその責務を負う自衛隊の幹部が内心忸怩たる思いであることは想像に難くない。

敵の攻撃を受けてもそれにまともに対応する法制度も整備されていないような状況で、よく今までやってきたものだと思ってしまう。

公の場での発言は抑制されてきたとは言え、集団的自衛権や憲法改正の必要性が多くの人に認識されているというのは組織内部ではきっと公然の秘密だったんだと思う。

でも、気になるのは言論の自由云々という点。

自衛官も憲法によって言論の自由が保障されているのだから、それを政府が封じ込めようとするのは言論統制だというのが田母神氏の主張。

言論の自由を大切にする人たちにとっては確かに難しい問いである。

でも、私人の立場とは言え、公職につく身で、しかも実力部隊の長が政府の見解に矛盾する発言を繰り返すのを無制限に許したら、戦前の日本に逆戻りである。

田母神氏のような立場にある人は、たとえ私人の立場で私見を述べても、それが自衛隊幹部という公人の立場とは切り離されてはとらえられない。

それは一個人の発言を超えた政治的な影響力をもつのである。

だから、もし私見を述べたいのであれば、まずは職を辞してから述べるべきであったのだと思う。

多くの言論人が公職を嫌うのは、まさにこの自由を満喫するためである。

私も昔木っ端役人であったが、やはり職務と自分の信念・信条がぶつかることがある。

この不自由がいやだっかたら仕事を辞めて貧乏生活を送っているのでもある。

ましてや要職につく田母神氏が、職にしがみつきながら私人としての言論の自由を主張するのは少し子供じみている。

そうは言っても、より深い問題の根源として矛盾した政府の国防政策(というかその欠如)があるというのは田母神氏の発言を待つまでもなく現実のものである。

戦後にちょっとでも戦争を正当化するような言説が封じ込まれてきたために、国民が日本の安全保障を正面から議論する場が限られてきた。

それで、国防をもうちょっと真面目に考えたい人たちが戦前の亡霊のような言説に誘惑されやすい素地ができているような気がする。

それが公の場ではなくて、自衛隊内部とかマンガとかネット上で裏の文化となって、私人同士のなあなあの会話としてまともな批判を受けることなく膨張するという不健全なことになっている。

もとより先の戦争の解釈と今日の日本の国防政策というのは切っても切り離せないのであるが、国防をまじめに考えるためにこんな乱暴な議論で先の戦争を正当化しなければならないとも思えない。

先の戦争というのは特定の国の責任に帰するにはあまりにも複雑である。

でも、それは日本が一方的な犠牲者であったということでもない。

どこの国が悪いという国家間の責任論を超えて、先の戦争の意味が真に公の場で討論されることによってしか、日本の今後の国防政策や外交を歴史の束縛から解放することはできないと思う。

これは田母神氏みたいな立場にいる人が役職の権威を借りて中途半端な立場で決める問題ではなく、国民全体が公の場で公の立場で議論していくべき問題なのだと思う。
0 5

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2008年11月>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30