「路上お邪魔ですか」展 渋谷区松涛美術館
かつて日本には、公界(くがい)と呼ばれる一定の制度や権力の及ばない自由な空間が存在していました。寺社の門前や宿場町に見られた領域は、移動する人々や芸能を受け入れ、文化や交流を育む装置でもありました。
現代における「路上」は、そうした歴史的空間と完全に重なる訳ではありませんが、所有や統治の枠組みが曖昧で、ときに制度へのレジスタンスによって、路上に自由を見出そうとしてきました。一方で路上は、単に自由や解放の象徴だけではありません。排除の論理によって居心地の悪さや不安定さも抱えています。本展では、路上をキーワードに紹介可能な作品や歴史的なできごと、さらには言説をふくめ、現代においてますます複雑になる公共性がもつ課題を考えます。
本展の開催は、1986年に発足した「路上観察学会」の創設40周年も契機としています。赤瀬川原平や藤森照信らによって結成された路上観察学会は、意図をもって生み出された芸術作品ではなく、都市と自然とが意図せず生み出した状況を、可笑しみをもって取り上げる「目」を、メディアを通して共有した活動です。そこには路上がもつ豊かさを伝えるとともに、開発によって均質化した都市への批判も込められていました。
「彼女が邪魔だった」― これは、2020年に渋谷で起きた路上生活者殺害事件で、加害者が発した言葉です。路上は、所有が曖昧であるがゆえに公序が強調され、時に他者の主観的ルールが衝突する息苦しさを孕んだ空間でもあります。2020年の事件は、公共性の意味を取り違えたときに起こりうる取り返しのつかない暴力を私たちに突きつけました。
それでも、この「自由」と「邪魔」が共存する路上においてこそ、批評的な文化実践が数多く立ち上がってきたのです。本展は、現代美術から歴史的資料、公園の遊具や銭湯、大道芸までをも紹介しながら、路上は誰のものか?をキーワードに、過去の実践から現代の都市に対する批評的なアプローチまでをたどりながら路上の公共性を探ります。
批評とユーモアの喧騒に溢れた、路上芸術に出会いにきてください。
*出展作家
路上観察学会(赤瀬川原平、藤森照信、林 丈二、南 伸坊、松田哲夫、杉浦日向子、一木 努、荒俣 宏、飯村昭彦)、鈴木康広、ギリヤーク尼ヶ崎、Chim↑Pom from Smappa!Group、山田脩二、迫川尚子、児玉房子、ダニエル・エヴェレット、銭湯山車巡行部、GROUP、panpany
(松濤美術館のHPより)
ギリヤーク尼ケ崎 「祈りの踊り」
今年で96歳になるギリヤーク尼ケ崎は半世紀にわたり路上に立ち続けてきた大道芸人である。彼が魂を込めて製作した映画「祈りの踊り」を全編上映。植村佳弘や紀あさの写真とともにその歩みを振り返る。路上が舞台になる瞬間は偶然のものではなく彼独自の修行と作法に息づいている。
ギリヤーク尼ヶ崎は、日本の大道芸人、舞踊家。本名は尼ヶ崎 勝見。芸名の由来は自身の風貌がロシアサハリンの先住民族であるギリヤークに似ていることから。 北海道函館市出身。現在の戸籍上の生年月日は1930年8月19日
路上観察学会 発足宣言
「今から十数年ほど前多くの者が図書館や美術館をあとにした。どうしてかというと図書館に並ぶ本も美術館にならぶ絵も退屈になってしまったからです。
難しすぎて理解不能・そしてその者たちがどこへ向かったかというとたいてい洒落た店やテニスコートに行ってしまいました。しかしやがてここに集うことになるわれわれは店へもテニスコートへも行けませんでした。もちろん金もなくモテもせずネが暗かったからであります。しかしそんな我々を受け入れてくれる場が路上でした。マンホールのふた、トマソン、煉瓦の煙突、張り紙、西洋館といった様々な物件が待っていてくれました。
もちろんこの地球上には図書館や美術館や店やテニスコートよりもっと素晴らしい路上という場があることをまた誰も気づいてはいませんでした。これは目玉にとって新大陸の発見であります。
以来十四年それぞればらばらに自分の目玉を路上で磨いてまいりました。本年に入って初めて結集しここに「路上観察学会」を発足させることになりました。」
1986年 赤瀬川原平、藤森照信、林丈二、南伸坊、松田哲夫、杉浦日向子、一木努、荒俣宏、飯村昭彦
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