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2026年09月26日19:30

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クリムトとウイーンの美術

*グスタフ・クリムト「愛」
日本美術の影響を受ける=ジャポニズム ウイーンでは1873年に万博が開かれ日本も出品し岩倉具視を団長とする使節団が訪れた。


家人の同級生の兄上が愛知教育大の名誉教授(西洋美術史)で、主宰する人気の講座「美術鑑賞の会」を案内されて聴講する。
過去に、ゴッホ、モネ、フェルメールなどの講座もやっていて、前回のフェルメール講座は大人気で満員御礼だったそうだ。聴講者の中に、現在開催中の「フェルメール真珠の耳飾りの少女展」のチケットがとれなかったという人が多くいた。

今回の講座のテーマは『クリムトとウイーンの美術』

クリムトは昔から好きだし、ウイーンは町全体が美術館だと言われるくらい建物も内部も素晴らしい芸術作品であふれている魅力的な都市だが、残念ながらまだ行ったことがない。
ウイーンモダン展を観に行ったときの日記
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1973588900&owner_id=168303&from=list_diary_search

◆グスタフ・クリムト(1802−1918)
ウイーン生まれ、父は彫金職人
1887年ウイーン分離派(オーストリア造形芸術科協会)を結成会長になる。
あと、クリムトは工芸学校出身(クリムトの弟も彫金職人)なので、絵画だけ描く印象派に比べ、ウイーン分離派のアーティスト、ホフマン(建築家)やモーザー(デザイナー)とも協働して、壁画や室内装飾にも関与した。

◆1898年ウイーン分離派会館完成 (ヨセフ・マリアオルブリッヒ設計)
実業家のカール・ヴィドゲンシュタインが資金を出した。
カールの息子は哲学者ルードヴィッヒ・ヴィドゲンシュタインと第一次世界大戦で右手を失った世界的なピアニスト、パウル・ヴィドゲンシュタイン 
会報は「ヴェルサクルム」Ver sacrum 聖なる春の意

クリムト 「ベートーベン・フリーズ」(1901〜02)ウイーン分離派会館
フォト

1902年ベートーベンの没後75周年を記念して第14回分離派展に出品、フリーズとは壁上部の横長の絵のこと。
展覧会後収集家カール・ライニンクハウスが購入。その後実業家アウグスト・レーデラーと妻セレナが購入したが、オーストリア併合のときにナチスドイツに没収された。戦後息子エリック・レーデラーに返還されたあとオーストリア政府が購入。分離派会館に地下室を作り1986年から展示されている。
左壁面:騎士が戦いに出る 
中央壁面:敵対する勢力(怪物ティフォン、ゴルゴンと戦う) 
右壁面:楽園の娘たちと抱き合う人
ベートーベン第9の歌詞、シラーの詩が表現する世界だ。

◆クリムトのパートナーのエミーリエ・フレーゲ
服飾デザイナーで、姉妹でファッションブティックを経営していた。姉がグスタフの弟と結婚していた。クリムトと結婚はしなかったが、グスタフは弟の娘(姪)の後見人になっている。エミーリエのデザインする腰を締め付けないドレスは一世を風靡。

クリムト「エミーリエ・フレーゲの肖像」(1902年) ウイーン博物館
フォト


のちに彼らの活動が商業主義だと批判する声が大きくなったので1905年ウイーン分離派を脱退し、オーストリア美術家連盟を結成。

講座は、(過去に美術検定の勉強もしたし)ほぼ知っている内容だったが、面白かったのは、
印象派が古代ギリシャから離れたのに対し、ウイーン分離派は、古代ギリシャから離れず逆に古代ギリシャを引用した作品を多く発表したというところ。
そういえば、クリムトの作品はギリシャ神話の女神や兵士たちが多くみられる。

フォト

クリムトの「パラスアテナ」1898年 (ウイーン博物館蔵)

第2回ウイーン分離派展に出品 1900年のパリ万博でも展示された。アテナ女神は1880年にアテネで発掘されたヴァルヴァキオンのアテナ像からヒントを得ている。
この像は、2世紀のパウサニアス「ギリシャ案内記」に記されたパルテノン神殿のアテナ女神像と姿が一致したため忠実な縮小コピーであることがわかった。
手に載せたニケ像はヴェリタス(真理の女神で鏡を持っている)
ギリシャ時代のアテナ女神はヘルメットを頭の後ろにずらして美しい顔を出しているが、クリムトの絵はヘルメットを顔にかぶって(顔をかくして)いる。古い芸術と戦う姿勢を表しているといわれる


◆美術アカデミー権威主義からの離脱
モネ、ルノワールなどの印象派 ←新古典主義(ドミニク・アングル)
ロセッティなどのラファエル前派 ←イギリス新古典主義(ジョシュア・レイノルズ)
ウイーン分離派←オーストリア ウイーン美術アカデミー教授(ハンス・マカルト)

ハンス・マカルト「カール5世のアントウェルペン入城」1878年 ハンブルグ美術館
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マカルトはザルツブルグ生まれ、ミュンヘンなどで学ぶ。ウイーン美術アカデミー教授になり、皇帝フランツ・ヨーゼフからアトリエをもらい上流階級の寵児となった。が44歳で早逝。

ウイーン工房の芸術活動を支援したオーストリアの実業家オットー・プリマフェージ。クリムトはオットーの妻とその娘を描いている。

オイゲニア・プリマフェージの肖像(1913)豊田美術館
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9歳の少女/メーダ・プリマフェージの肖像(1912)メトロポリタン美術館
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