「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介監督。日仏の主演女優がカンヌ映画祭主演女優賞をダブル受賞をした映画『急に具合が悪くなる』
上映されたらぜひ見に行きたいと思っていたが、いつの間にか大阪では上映終了となってしまい、シネピピア売布でやっているとの情報を得て見に行ってきた。
映画の元ネタになった本は、哲学者の宮野真生子と文化人類学者磯野真穂との往復書簡集だ。往復書簡の映画化というのは、これまであっただろうか?
ステージ4の末期がんで医師から「急に具合が悪くなるかもしれない」と言われた哲学者の宮野真生子は、人類学者の磯野真穂に往復書簡を提案する。途中で本当に急に具合が悪くなるがそれでも続け最後の原稿を書き終えた翌日、救急搬送されて入院し42歳で夭逝。宮野はなぜ往復書簡をやろうと思ったのか? なぜ相手に磯野を選んだのか?
死んでいく人と語り合うのは難しいことだ。「大丈夫?/早く良くなるといいね/お大事に/無理しないでね」。こうした言葉が宮野に対しては使えないことに磯野は気づく。「どんな言葉であれば宮野さんを傷付けずにすむのか」
旅行した人に「どんなだった」と聞くことはできる。食べたものについて「どんな味なのか教えて」と頼むことができる。しかし、死んでいく人に同じような質問はとてもできない。しかし、磯野はこう書く。「宮野にしか紡げない言葉を記し、それが世界にどう届いたかを見届けるまで、絶対に死ぬんじゃねーぞ」と。(書評より)
映画では、日本に留学経験があり(文化人類学専攻)日本語も話せる介護施設のディレクターをしているマリールゥと、フランスのソルボンヌ大学で哲学を学んで演出家をしている真理が、パリで出会う。二人は出会ってすぐに意気投合し(お互いがソウルメイトであると確信したかのように)、仏語と日本語を交互に使ってお互いのやルーツや考えや今後の展望について時間を惜しんで語り合う。そう、とにかく時間がないのだ。なぜなら出会った時すでに真理はステージ4のガンを患っているから。
自分が(相方が)こういう特殊な状況のとき2人はどのように親交を温めるのか。
さすがは高スペックの女性同士しかもLGBTでもなさそうなので運命の恋やセックス要素もなく、とにかく会話が高尚なのだ。哲学的な話や経済や社会構造の会話まで。字幕を追うのがつらい。
とはいえ実際の2人のやりとりは愛と思いやりに満ちた人間味あふれるものであり少し安心する。どれほど立派な経歴や頭脳の持ち主であっても最期はただの人と人なのだ。これは外国も日本も同じ、介護の前線においても同じだ。
生きてる間になにをなしとげたか、何を残したか(自身の生きた痕跡をのこす)
それが明らかにならない限り死ねない(死にたくない)
ガン患者にとってこの命題が最も重要で、生きるパワー(生への執着)になるのかもしれない。
「わたし、貴女(マリールゥ)と出会う準備ができていたのだと思う。だから貴女を見逃さなかった。」真理がいう。
この映画には親族が全く登場しない。そもそも真理は親との関係がよくなかった(でも京都に生家があり、具合が悪くなって帰国後マリールゥとそこに滞在している)。若いころは田舎がいやで自力でお金をため留学した、という設定なのでわかるけど、日本社会だと相続とか墓の問題とかいろいろめんどうな処理があるのだが・・
付き合って欲しい場所があるんだ、と言って日の出前に近くの山に登り、真理が仲の良かった同郷の友達とよく来た場所に座って二人で日の出を見ながらカップラーメンを食べる。Siriにタイマー設定させて。
そんな小さなことが死にゆく真理には大切だしマリールゥの記憶の中にも刻まれるはずだ。
この場所は吾朗と智樹が最後散骨するシーンに再び登場する。
末期がんのパートナーや友人とどのように会話し寄り添って過ごすのがいいのか。とてもデリケートな問題だが、この映画は当事者がとても冷静に感情と現状に向き合っているので参考になった。
認知症の親を介護している人、施設に入れている人、自身の最期をどう迎えるかでモヤモヤしている人にもいろんな気づきをくれる映画だった。
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