先日実家へ行くついでに大阪市立美術館の「妙心寺展」(2/7~4/5)に行ってきた。
https://art.nikkei.com/myoshin-ji/highlight/
京都の西郊、花園の地に広大な敷地を誇る臨済宗妙心寺派の大本山、妙心寺。
現在約3,400の末寺を有し、妙心寺派は臨済宗では最大規模の宗派で境内には約40もの塔頭が並ぶ。
かつてこの地は、花園法皇(1297-1348)の離宮御所があり、それを建武4年(1337)に関山慧玄(無相大師、1277-1360)を開山として禅寺に改めた。
戦国時代には武将たちの寄進を受けて多くの塔頭が造営され、そのためこの時期に描かれた狩野派や長谷川派、海北派などの桃山絵画の宝庫としても有名。
本展は妙心寺の第二世の高僧・授翁宗弼(微妙大師、1296-1380)の650年遠諱を記念して企画されたらしい。
妙心寺の歴史や、禅宗美術、桃山絵画など日本美術の白眉ともいうべき寺宝が一挙に公開されている。
2階の第一展示室に入場するとすぐに絢爛豪華な屏風絵が並ぶ。
妙心寺開山(開祖)である関山慧玄の江戸時代の開山忌での大方丈の設えを再現した展示だ。
【妙法寺屏風の大きさの謎】
通称妙心寺屏風と呼ばれる屏風群は、いずれも画面のサイズは縦178�僂函�標準的な本間屏風と比べ25�僂眤腓�い。なぜ特大サイズである必要があったのか。その理由は開山忌の長押の下に建て並べて用いられたためである。実際に長押の下に配置するとほぼすき間なくぴたりとおさまる。これにより長らく謎とされてきた「妙心寺屏風」が特大サイズである理由が明らかになった。
また、1階の第二展示室では、狩野山楽・山雪による豪華絢爛の傑作、京都・天球院の襖絵(金碧画の最高傑作の数々)がその室内と同じ状態で再現展示されている。
「梅花遊禽図襖」水平、垂直、斜め45° 見事な幾何学的構成
「竹虎図襖」 シンプルかつ大胆な構図
「朝顔図襖」 やまと絵的な優美さが際立つ
普段は非公開でなかなか目にすることができないというが確かに素晴らしい保存状態だ。
海北友松「花卉図屏風」(重文)と、狩野山楽「龍虎図屏風」の2つは撮影可能だった。↓
海北友松「花卉図屏風」(重文)桃山時代
狩野山楽「龍虎図屏風」(重文)桃山時代
海北友松の作品は、水墨画の「琴棋書画図屏風」「寒山拾得三酸図屏風」など大作が並び、長谷川等伯「豊干・寒山拾得図衝立」はコミカルな筆致が興味深い。
伝相阿弥の「瀟湘八景図屏風」 狩野元信「瀟湘八景図」 室町時代(重文)
出家後自らの離宮を妙心寺とした「花園法皇像」(後花園上皇賛)も。
宗峰妙超の墨蹟「関山」(妙心寺開山・関山慧玄の道号)と「印可状」は大変貴重なものとして国宝指定されている。
*宗峰妙超=鎌倉時代末期の臨済宗の僧。京都大徳寺の開山。
豊臣秀吉は夭折した長子・棄丸の菩提を妙心寺で弔ったといわれる。本展では、棄丸の肖像画や、幼い棄丸坐像が展示されていた。
「大阪の妙心寺派」のコーナーには、臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧・白隠慧鶴の味のある書画が多数。達磨図や布袋図など味のある書画が有名だが、「地獄極楽変相図」や、おさるとお月さまをデザイン化して描いた「猿猴捉月図」(大阪・江国寺)は何ともかわいかった。
牧谿にならった重文「枯木猿猴図(長谷川等伯)は後期展示で見れなかった。
展示のハイライトは、授翁宗弼(微妙大師)が創建した滋賀県湖南市・妙感寺の本堂に安置される2つの千手観音坐像
1つは半丈六大の巨大な千手観音坐像。鎌倉時代後半〜南北朝時代14世紀ころの造立とみられる。
もうひとつはオリジナルの千手観音坐像 後醍醐天皇の念持仏
二重の厨子に納められた秘仏。妙感寺は授翁宗弼(微妙大師)が後醍醐天皇の念持仏と伝わるこの千手観音(本像)を奉安するために建立したのが始まりと言われている。
小像のため表面が不明瞭で正確には把握しにくいが意志を感じさせる表情や厚みのある体躯の表現などから鎌倉時代後期から南北朝時代(14世紀)の作と思われる。
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