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2025年10月19日12:41

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大ゴッホ展(クレラー=ミュラー美術館展)

神戸市立博物館外観 
 「石膏像のある静物」1887 ゴッホにはめずらしい作品。ピカソやマチス的。
 「夜のカフェテラス」1888 本展の目玉 アルル時代の傑作
 「自画像」      1887 モデルを雇う金がないためゴッホには自画像が多い


2025年はゴッホ没後135年 昔からゴッホが好きでゴッホ展には何度も行っているが、この「大ゴッホ展」(神戸市立博物館)にはクレラー=ミュラー美術館のコレクションがそのまま来ている。ゴッホの人気作品「夜のカフェテラス」所蔵で有名な美術館だ。

私は2012年ベルギーオランダ旅行の際、どうしても「夜のカフェテラス」が見たくてアムスからわざわざ往復3時間電車とバスを乗り継いで郊外のアペルドールンにあるクレラー=ミュラー美術館に行った。自然豊かなデ・ホーヘ・フェルエ国立公園の中にありすてきな場所だった。
バスが1時間に1本しかないので2時間ほどもいられなかったが。

2019年には、この美術館を作ったヘレーネ・クレラー=ミュラーを主人公にした「ゴッホとヘレーネの森〜クレラー=ミュラー美術館の至宝」というドキュメンタリー映画も観に行った。
今回この美術館のコレクションがまるまる来日するというので、再会を楽しみに行ってきた。平日の午後遅めに行ったので比較的観覧はスムーズだった。撮影可能な絵がいくつかあった。「夜のカフェテラス」だけは最前正面から見たい(撮影したい)人は長い列に並ぶ必要があった。

フォト

「レストランの室内」 1887年 パリ時代、点描作品に一心に取り組むゴッホの痕跡



フォト

「草地」 1887年 プロヴァンスの野生ハーブ草原の一部を切り取った絵(撮影するとイマイチ)


フォト

「野の花とバラのある静物」 Still life with Meadow Flowers and Rose 1886年

画面いっぱい埋め尽くす赤が印象的な花々 観たこともない絵だったしゴッホらしくない静物画だと思ったらなんと10年ほど前にゴッホの作品と認定されたものらしい。それまでは作者不詳のオランダ画家が描いた絵として美術館に収蔵されていたそうだ。X線調査でゴッホ本人が描いたものだと確認された。
ゴッホはパリ滞在中の1886〜1887年、多くの花の静物画を描いた。複数の花を花瓶に入れ色彩の検証をしていた。彼がもっとも影響を受けたのはアドルフ・モンティセリ(印象派以前の人でバルビゾン派のころの人だが、ヴァトーやドラクロワを手本としロマン主義の絵を描いていた)。たしかにこの絵にはモンティセリの影響がみられる。
花瓶を画面上部に描きすぎて構図的にバランスが悪くなってしまったので下部にも花を置き、華やかな絵にしたのではないかと言われている。ゴッホの花の静物画は他にもあったが、これは赤が印象的で今回の展覧会で最も強烈に記憶に残った。
(ショップでこの絵のクリアファイルを売っていたので購入 660円)



■大ゴッホ展 https://grand-van-gogh.com/Cafe-Terrace-at-Night/introduction/
牧師の家に生まれたゴッホは気難しい性格=今でいうコミュ障のため画商の仕事もキリスト教の伝道師の仕事もうまくいかず、27歳のとき絵の道で生きていくことを決意。弟テオの援助を受けながら絵の基礎を築いていく。彼は農民や炭坑夫と暮らしをともにし、人間の苦悩に寄り添いながら何よりも自然を愛した。 展覧会第1期では、彼の画業の原点である初期の作品〜オランダ時代からフランス・パリで色彩に目覚め、さらなる光を求めてアルルに向かい、《夜のカフェテラス》を描くに至るまで〜を展示している。

⓵バルビゾン派、ハーグ派
1870年代に画商の社員としてパリやロンドンに勤務するなど、早くから絵画芸術に親しんでいたゴッホ。1881年以降に本格的に画家を目指すようになると、農村生活を主題としたバルビゾン派の巨匠ジャン=フランソワ・ミレーの作品に強い憧れを抱く。また、ヨーゼフ・イスラエルスなど当時ハーグで活躍していた画家たちからも刺激を受けることになる。

�▲�ランダ時代 ハーグ、ニューネン
1881年、ゴッホはハーグ派の画家のひとりアントン・マウフェの指導のもと油彩画と水彩画の手ほどきを受ける。1884年からはオランダ南部のニューネンで、農民たちと身近に接しながら群像表現の大作に挑んだ。

織機と職工 麦わら帽子のある静物
白い帽子をかぶった女の頭部
大工の仕事場と洗濯場

��パリの画家とゴッホ
パリでは第1回印象派展が1874年に開かれるなど新しい表現が台頭し始めていた。ゴッホは、すでに名声を得ていたモネ、ルノワール、ピサロなどを「大通りの印象派」、スーラなど新印象派やポスト印象派の新進画家たちを「小路の印象派」と呼び対比していた。彼が影響を受けたのは主に後者だが、この章ではモネ、ルノワール、ピサロに加えて、新印象派のリュスなど、1860年代から90年代のパリの画家たちの作品が展示されている。

�ぅ僖蟷�代
1885年に父がなくなったことをきっかけに、ベルギーのアントウェルペンを経てパリに住む弟テオをたずねてやってきたゴッホは、パリの前衛芸術に触発され、風景画や、静物画、自画像で配色や筆致の試行を続ける。約2年間のパリ時代でゴッホの絵画表現は劇的に変化する。

�ゥ▲襯觧�代
1888年ゴッホは南仏プロヴァンス地方のアルルを訪れる。都会での生活に疲弊を感じ自然の美しさを、浮世絵版画を通じて理想郷として憧れる「日本」そのものだと感じた彼は、アルルの自然を鮮烈な色彩対比で表現することに取り組む。その中でアルル時代の代表作のひとつである《夜のカフェテラス》を描きあげることになる。

�ゥ�レラー=ミュラー美術館 
実業家のアントン・クレラー=ミュラーと、妻のヘレーネ・クレラー=ミュラーのコレクションを基に1938年に開設された美術館。ヘレーネは、ゴッホが評価の途上にあった1908年からのおよそ20年間に、夫アントンの支えのもとゴッホの油彩画約90点と180点を超える素描・版画を収集した。ヘレーネは作品がもたらす感動を多くの人々と分かちあうためにコレクションを公開。それがゴッホのゆるぎない評価につながっていった。


追記
<夜のカフェテラス>と広重
フインセント・ファン・ゴッホの傑作のひとつ<夜のカフェテラス)。その基調となっているのは、夜空の青色と、カフェの黄色い灯りの対比で、西洋絵画の夜景表現としてはかなりカラフルな、斬新な表現が目を引きます。

この作品の構図については、ファン・ゴッホ兄弟も所持していたとされる歌川広重<名所江戸百景 猿わか町よるの景)からの影響が指摘されています。大通りのはるか奥に設定された消失点にむかって、町並みが直線的に収斂していく、線遠近法によって構図を組み立てています。その中に、藍の空と、月に照らされた地面、その上を行き交う人々などが描きこまれています。ファン・ゴッホはこの版画について手紙で言及していませんが、<夜のカフェテラス)を描くにあたって、参照していたとしてもおかしくない要素を持ちます。

しかし、それ以上にこのく夜のカフェテラス>の制作動機として重要なのは、ファン・ゴッホの星空への憧標でした。愛読書のモーパッサンの小説『ベラミ』に現れる星空、あるいは、1888年6月初めに地中海で見た色彩豊かな星空に刺激を受け、その絵画化に挑んだのがく夜のカフェテラス)だったのです。





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