【ヤマザキマリ NHK Eテレ「最後の講義」(7/10放映)まとめ 】
角川武蔵野ミュージアム本棚劇場にて
自由とは孤独
なんの制約もしがらみもない、自由に生きると言うことはとてつもなく覚悟がいること。
《自由の代償》
自分が幼少のころ母(ヴィオラ奏者)はいつも仕事で不在、妹と二人で過ごした。宿題をしなさいとか、暗くなったから帰りなさい、とかうるさくいう親はいない。束縛するものがない、限りなく自由だった。しかし自由という疎外感と孤独感に押しつぶされそうになるので家よりはずっと生命反応が盛んな大自然の中へ身を置き、ひたすら絵を描いていた。絵を描くこと=表現(アウトプット)すること。絵ばかり描いていたのは何か出力していないとおかしくなるから。
《葛藤する年齢》
学生のとき進路について聞かれ、絵描きになりたいというと、指導教員から絵描きなどという生産性のない仕事では食べてなどいけないと言われた。それを母にいうと、ふーん、と言っただけ。ほどなく母から「自分が行くつもりだったヨーロッパに用事でいけなくなったからおまえ代わりに行ってきて」と言われた。14歳のとき単独で渡欧(14才の娘を一人で行かせる母も母)。母の指令はルーブル美術館で3日間絵を見まくること。モナリザの前は黒山の人だかりで少女のマリには全然見れなかったが、そのときに観た古代ローマの美術コーナーで「こんなに素晴らしい芸術が何千年の前に生まれ保存されているのか」と感銘をうけた。
《自由を選択した後悔》
高校中退しフィレンツェの美術学校へ。そこで苦学しながら絵描きになる。同じ表現者としての同志であった詩人と同棲し10年くらいイタリアで頑張っていたが、極貧生活は変わらなかった。詩人の彼は「おれは詩人だぞ」というプライドから全く俗世を生き抜く生活力がなかった。そんなとき運命を転換する事件が起こる。妊娠だった。
人生にはいったんシャッターを閉めなければいけない瞬間がある。
《殻を割らなきゃならない》 Break through
いままでの自分には(自分の理想や夢のために)貧乏画家でいいんだという開き直りがあった。妊娠したとき今の生活状況では生むのは無理だなと思った。が、パートナー(詩人)の困惑した顔を見たとたん、生むぞ!と思った。とにかく母子で食べていかなきゃとスイッチが入ったのだ。ボヘミアン的あきらめという殻を割らなきゃいけない瞬間だった。そして詩人と別れて日本に帰国。
漫画家に転身するも食べてはいけず北海道のテレビ局で温泉リポーターをやったりイタリア料理番組をやったり、10個くらい仕事を掛け持ちした。
少女まんがはある種デフォルメのパターンが決まっていて(目の大きさが顔の半分あるとか)自分には難しかった。漫画家として参考にしたのは昔フィレンツェの美術学校に留学していた日本の先輩たちが置いていったツゲ義春や水木しげるの漫画だった(漆黒が多い)。
《良質な孤独と向き合って良質な自分を知る》
ヤマザキマリがなりたい人
形而上学的絵画ジョルジョ・デ・キリコ
大衆受けするお花畑を描くかわりに自分が描きたいもの(不気味な絵)を描きつづけた。孤高の巨匠。何を描こうが自由 自分を愛して自分の心の声をきく 良質の孤独と付き合える自分 人間のいる社会を見つめてきた人。
タイガーマスクと仮面ライダーの共通点=孤高のヒーロー
1980年以降、ヒーローはグループになっている。戦隊もので、みんなで協力しあって敵を倒すパターンが多い。
《挫折しないと気がつかない自分の色彩がある》
たくさん経験を積み挫折をしないと自分の表現というものは生まれない。つらくても自分で経験するしかない。ガラスみたいに傷つきやすいと思っていた自分の心が粘土だったり時には鉄みたいな強靭な心であったりするものだ。
《表現者である自分の間口を増やす》
手塚治虫が「漫画から漫画を学ぶな」といった。同業者をいくらまねてみたところで何も得るものはないと。
儲かるからとかコスパがいいからとかいう理由で仕事に就いても結局つづかない。人には自分の好きなこと、自分がやりたいことをやる自由がある。そのために周りから孤立することがあっても自分を見つめ自分の心の声をきいて自分の畑を耕し続けよう。
その際自分の活動のジャンルを音楽だけ、美術だけ、という風に限定せずに表現とあまり関係のないようなことでもどんどんいろんなことに間口を広げるほうがいい。
一見関係ないものから生まれる感受性がある。表現には多元性が必要。
《自身に枯渇しているものを補填する、表現者としての人間の質》
自信のなさは人間的なもの 自信がないと成功しないのではない、むしろその逆かも。
自分が授かった才能や可能性を出し惜しみせずに土を耕していくと、その果実は出る時がくれば出る。「テルマエ・ロマエ」が世に出てヒットしたのは40を過ぎたとき。本当に自分の描きたいものを描いたとき結果が出た。
自分はイタリアで肖像画家の教育を受け貧乏絵描きをしていたが全く食べていけなかった。肖像画を依頼されることもなかった(肖像画は世の中に写真がなかった時代の流行りであり今では亡くなった方の偉業を示す手段くらいしか需要がない)。
いろいろな職業を転々とし最終的に今は漫画家・文筆家を名乗っているが、この年になって肖像画を依頼された(山下達郎から)。それでン十年ぶりに描いたらちゃんと描けた。習得したものの全く役立たないと思っていた技術がいま発揮できる機会を得てうれしい。
《表現者は 精神の第一次産業従事者》
人間には、遺伝子を残すという生殖的役割とそのために衣食住を充実させなければいけないという目的があるが、それだけではない。人間には精神世界の充実が必要。それが芸術の役割。芸術がなくても生きていける(不要不急)といわれるが、それでも人間には芸術が必要。
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