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2024年05月01日20:18

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国鉄ED57型電気機関車

ドイツのジーメンス(機械部分はボルジッヒ)製造の電気機関車ED57型には判らない事が多い。製造銘板には1925年製造となっているんだが、国鉄編入の帳簿上は1927年(もしくは1928年)となっている。
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なかなか恰好良い機関車だが、ドイツ国内ではBo'Bo'の吊り掛け式本線用機関車は当時ほとんど存在していなかった。

東海道線の電化のために日本は電気機関車を輸入したんだが、大半は英国EE社への注文だった。これは第一次大戦後、日英同盟が消滅して、日本政府は英国との友好関係を維持するために電気機関車を英国に注文するという外交政策で、鉄道省の担当は全く知るところでは無く、驚いたという話が残っている(当時電気科課長だった朝倉希一の記述)。

時を同じくして電気機関車製造を国内で行なおうとい省内の動きに対応して三菱がこれまた英国ビッカース社から機関車1両を輸入したが、これもまた製造銘板上は1923年製造だが、三菱で研究材料として調査された後、国鉄に買い取ってもらい(買い取らせたが正しい?)国鉄に編入したのが矢張り1928年になっている。

ドイツ製のED57型に関しては数年前にドイツの電気車研究家であるリヒターさんから第一次案として凸型車体のBo'Bo'電気機関車の図面を得て、Nさんがレールマガジンで発表している。
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そこで色々と想像を巡らせると、、、2つの可能性が浮かんでくる。第一に、ジーメンスは日本市場を重視していたが、第一次大戦後、日本市場から切り離される事を恐れて、独自に東海道線向けに機関車を設計製造して売り込んだという可能性。日本からの注文は無かったということになる。前出の朝倉は「ドイツでも日本向けに機関車が作られているという事を聞き及んではいたが、その実情は全く知らなかった」と述懐している事からも、少なくとも鉄道省からのオーダーではなかった事が伺われる。日本からの仕様要求書が無かったために、こんな凸型の車体設計をしてしまった、という事は有り得る。三菱が輸入したED56とこのED57には設計製造当時有効だった形式称号(1909年から1928年まで)が振り当てられていない事からも、ED57は鉄道省の計画外だった事が想像出来る。ジーメンスの押し売り、という事になるんだが、この会社の体質を考えると有り得ない事では無い。

2つめの可能性としては、この機関車が日本に対する戦後賠償の一部だったと考える事が出来る、というもの。これが戦後賠償だとすれば、どこかにリストや賠償交渉の文献が残っているべきなんだが、その辺は国会図書館辺りにしか残っていないだろう。ドイツの第一次大戦戦後処理に関して、戦勝4国(日本も戦勝国の一つ)管理で賠償事項を決める委員会(Commission)が多数作られたが、鉄道車両に関しては田中委員会(Tanaka Kommission)というのが設立されて、各国へドイツの車両を分配するプランを作製した、らしい(らしいというのは、これまでこの田中委員会に関する資料が殆ど出て来ないため)んだが、日本が標準軌の車両を分譲されても全く役に立たないので、機関車を新製させた、という可能性もありそうだ。

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というわけで、曰くありげな機関車なんだが、割と好みのスタイル。10年近く後にドイツ国鉄のために製造されたE44.5型機関車がどことなく似た雰囲気だ(製造はアルゲマイネだが)。
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この辺の謎を解明してくれる情報は無いものだろうか、、、

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