ノンデュアリティオートマチック
(体外離脱の文章化の試み 仮説)
源(ナチュラルスピリット)
に
背をむけると
彼には何もない空間があらわれる(意識)
そして
源とのあいだに裂け目がおきたと信じたとき
彼は自我と成り
暗闇のなかの渦へむかう
その先には
投影(3次元)があらわれる
彼はその中に眠る身体をみつける
彼はそれと一体化しようとする
すると3次元的な五感を味わい、思考、感情を経験する
だから彼の自我は
投影された経験のなかのそれらにあるのではなく
意識(スクリーン)
をもつ空想のわたし
が
源からの分離(裂け目)が現実であると
信じこんだとき
自我に成ったといえるわけである
(投影のなかで経験する、私という思考、が自我そのものではない。その思考がおきていようがいまいが、
自我の信念があるのならば、
五感もそのほかの思考、感情も有効化され、それらは現実に起きつづけている、と経験されるのである。)
このように
自我は
投影された経験のなかにあるのではなくて、
暗黒のなかの渦にあるのでもなく、
暗黒そのもの
といえる
源に背をむけたわたし(空想)がその裂け目を信じたとき
わたし(空想)は
暗黒(完全な無知)
と
成った
のだ
わたしにたいしてあらわれていた、ただの空間(スクリーン)のところに、
そのかわり、渦があらわれだし
暗黒の私は、その渦のなかにいくかのようになる
そして渦のなかには
投影があらわれた
その投影のなかには身体があって
それに一体化すると
五感、思考、感情という日常生活を経験(有効化)するのである
あたかも、現実であるかのごとく。
これらのプロセスは
ナチュラルスピリットのなかで
ただおきた
妄想である。
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