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2024年04月22日07:59

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流行のノンデュアリティの4つのパターン

流行のノンデュアリティの


勘違いしてる4つのパターンがある


1つめは
五感が悟り(現在)だと勘違いしているパターン。
フォーカス、強化すればよい、などなど、勘違いしていて苦労状態といえるのである。

2つめは

意識が悟りだと勘違いしているパターン。
意識を失うことを恐れることになる中途半端なパターンである。


3つめは
わたしがなくても変化する(起きる)世界はあると勘違いしているパターン
(じつは平安だけが実在するので
探求も意識も五感も幻想である)

4つめは

愛(活動、高波動)が悟りであると勘違い
しているパターン
まったく逆方向の勘違いであり
その愛は現実でなければならないなら
自我状態だといえる
自我(拘束)状態の活動は表裏一体の葛藤がうまれ
愛と憎しみ、博愛と猟奇、という
光と闇
、ポジティブとネガティヴがあらわれつづける
そして
真の癒しではない、
活動(努力)が悟り(前提)という勘違いは、
統合も分離も自我が前提なので
ほんらいの
統合と分離にたいして
逆さまの状態になっている
つまり
ほんらい
自然は統合であり不自然が分離であるにもかかわらず
特別の愛というのは、求める状態であり、ポジティブ活動にすぎないのに、それが統合(ポジティブは統合だとかいいだすのである)
そして憎しみはネガティヴで分離をうみだすといいだすのだが、
どちらも、ポジティブもネガティヴも
じつは分離でしかないのだ。
これが偽の愛の、特別の愛と憎しみという表裏一体性なのである。
たとえ
偽りの統合を成し遂げても
そこには
私たち、という私(幻想)がまだいるのである
孤独であれ、恋人であれ、結婚していようと
同じである
私たち
でしかない
そこには
無条件がない
 孤独があつまっても、しょせん孤独のレベルでパワーが集まっている状態にすぎない

そして
特別の愛と寂しさという表裏一体
(それを現実にしつづける自我)が残りつづけるというわけである

真実は

無条件にいつもある現在(ナチュラルスピリット、自然)
による

探求の癒し(平安)があり

意識は自然に癒され

自我(現実化)はなく

五感ものこっているが無効化している
のであり

識別、ジャッジも
無意味な

自然さ

があるのである

それが最後の人生という夢なのである







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