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2024年04月09日12:20

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ゴジラ -1.0

昭和29(1954)年に公開された『ゴジラ』以来70年、日本ではこれまでになんと30作ものゴジラ映画が撮られているらしい。
調べたところによると、1964〜69年、71〜75年、91〜95年、そして1999〜2004年までの4度にわたっては、毎年!新作が公開されているらしかった。
小学校低学年頃にはもうゴジラを観ることのなかった自分には、これは驚きであった。
そんなこと思ってもみなかったから、2016年に『シン・ゴジラ』が公開されて社会現象になったあと、7年後の昨年『ゴジラ -1.0』が公開されると聞いて、こんなに早く、なぜまたゴジラ??と感じてしまったというわけだ。
(ちなみに、沢口靖子がバラの花みたいになってしまう(?)『ゴジラvsビオランテ』は平成元年1989年公開で、第17作品目に当たるようだ。)

だからここは冷淡に見送る気だったのだが、米国アカデミー賞レースで、『君たちはどう生きるか』『Perfect Days』と並んで日本がらみの作品がノミネイトされ、あろうことかジブリとゴジラはかなり本命に近いという噂を聞いて、それはさすがに希望的観測に過ぎやせぬかと思ったのだったが。
ご存じの通り、『ゴジラ -1.0』は、視覚効果賞を本当に受賞してしまった。
いやはや。
もしかしてこれは、ホンモノなのか。
観に行こうかな。
・・・私は意外に権威に弱いらしい。
アカデミー賞なんて「権威」には当たりませんよとお叱りを受けてしまったけれど、だってアカデミー賞だもの。
私が事前に知っていたのは、神木隆之介と浜辺美波の『らんまん』コンビが主役で、太平洋戦争が大きくかかわっているというくらいで、あとは何も知らない。
たぶんゴジラの「中の人」は、野村萬斎ではないはずだ。


先月『ゴールデンカムイ』を観に行ったばかりの同じ映画館へ、相棒と連れ立って乗りこんだ。
うっかり開映時刻の20分も前に着いてしまったのだが、その時席に座っていたのは、なんと60歳以上のお爺さんばかり。
10名近くいただろうか。
こんなこと初めてだ。
ゴジラへの関心って、こんな風なの??
上映時刻が近づいてくると、さすがに春休み最後の土曜日とあってか、親子連れ、子供ばかりのグループ、そして20代30代のお客さんが次々に入ってきて、近ごろのロードショウでは異例なくらいの幅広い年齢層になったようではあったが。


映画が始まる。
太平洋戦争末期、ゼロ戦が南の島のボロボロの滑走路に不時着する。
降りてきたのは主人公の神木隆之介。
つなぎを着た青木崇高が、島の整備部隊を仕切っている。
彼はどうも主人公に不信を抱いているらしい。
(ちなみにこの二人は、大河ドラマで義経と弁慶を演じたことがある。)

そこにさっそくゴジラが来襲する。
なんでもその島では、過去にも「ゴジラ」と名付けられた怪物が襲ってきたことがあったらしい。
主人公はゼロ戦の機銃でゴジラを撃てと命じられるも、手が震えて撃つことができない。

・・・待てよ。
ゴジラが人間の前に立ち現れたのは昭和29年、戦後の怪物ではなかったか。
それよりも前の戦時中に、すでに存在が確認されていたという設定か。

二人を除く全員がゴジラに殺され、彼らは失意のうちに敗戦で日本に引き揚げる。
戦闘機の故障と偽って特攻を逃れていた主人公は、鬱屈を抱えたまま東京の焼け野が原で暮らし始め、他人の赤ん坊をつれた浜辺美波と同居する羽目になる。
主人公は生活のため、粗末な木造船に乗って、米軍が海に敷設したまま放置している機雷の撤去作業に従事する。

数年後。
日本近海に巨大生物が出没し、米軍の船を次々に襲い始める。
冷戦のさなかソ連を刺激したくないアメリカと、事を荒立てたくない日本政府は、秘密裏にゴジラを足止めするよう主人公らのチームに依頼してきた。
例の木造船に古い機雷を積んで沖に出た主人公は、あの時よりさらに巨大化したゴジラに対峙しておののく。
こいつは、自分たちなんかにどうこうできる怪物ではない――!
ゴジラはいとも簡単に東京湾から上陸、銀座を蹂躙し、東京を再び焦土に変えて海へ去っていった。

そして、ここからがクライマックスだ。
アメリカの庇護を期待できず、軍事力も持たない日本は、どうすればよいのか。
機雷撤去チームのリーダーは、元海軍兵や、ようやく復興の途にあった民間企業に声をかけ、知恵と、なけなしの資材をかき集めて作戦を立案する。
名づけて「ワダツミ作戦」。
戦後処理のどさくさで接収・破壊を免れた時代遅れの軍艦や戦闘機などを総動員して、相模湾にゴジラを誘い込み、対決しようというのだ――。


ありていに言って、お話には無理があるし、脚本も拙い。
冒頭の南の島の場面で、しまったこれはハズレだと感じた。
なにしろリアリティがない。
役者の演技もカツラもメイクも、どれも安っぽい。
だいいち、特攻隊の生き残り、逃げたトラウマを抱えて苦しむ敗残兵に、どうして神木隆之介なのか。
(彼は、イノセントな役を演じたら天下一品の役者なのだが。)

・・・と、『シン・ゴジラ』を基準にしてしまった私は、ひとり勝手にがっかりしたのだ。
無理もないよね。
ゴジラ映画といったら、第一作とシン・ゴジラしか、まともに観ていないのだから。
しかもそのふたつは、傑作だったのだから。

観終わって思った。
そうか、今度の映画は、『 シン・ゴジラ』ではなく、これまであまた作られてきたB級ゴジラ映画の系譜上にある作品だったのだ。
だとしたら、当代人気若手俳優の神木隆之介と浜辺美波というキャスティングも納得できる。
山崎貴監督自らが脚本を書いたというが、彼が『アルキメデスの大戦』を書いて撮った人だと知って、さらに合点がいった。
あの作品も、橋爪功はじめ結構な役者が出ているのに、わざと下手に演じているのかと文句を言いたくなるような演出。
今回の佐々木蔵之介はまだいいとしても、安藤サクラの芸達者ぶりが、そこだけ異色になってしまう贅沢。

だがこの映画の核心は、敗戦を経験して、国は全くあてにならないということを学んだばかりの日本人が、弱者でも戦うことはできる(戦うしかない)と腹をくくった、その点にあるのだと思う。
戦争に負けたばかりで、モノはない、誇りも何もない、あるのはこの先も生きてゆかねばならない時間ばかりで、将来を設計する目途もたたない日本人。
そこに、ゴジラですって?
どうすりゃいいのさ。
けどやるっきゃないでしょ!
そういう物語だったのだ。

「小よく大を制す」が大好きな日本人が、ハリウッド作品の十分の一といわれる予算で特撮映画を撮り上げ、天下を取ってしまった。
そりゃあ嬉しいだろう。
だからしばらくは浮かれてもいいんだと思う。
この成功には、Z世代、オスカー授賞式に登壇していた弱冠25歳の野島達司という天才クリエイターがいたことが大きい、とも言われていて、そこはなかなかに夢のある話だ。

でもね、やっぱり、栄冠取った特殊効果に引けを取らない物語を、メッセージを、ディテールを、もっともっと追求してほしいのだ。
技術はあっという間に古くなるが、伊福部昭の音楽は、70年経ってもまったく古びていなかったでしょう?
授賞式後に山崎貴氏が「作品賞を獲った『オッペンハイマー』に対するアンサーとなる映画を、また作らなければいけない」と語っていたけれど、そうするならば、心がけるのは、そこなのだ。

まずは脚本家を探すところから始めよう。




ゴジラとの共存  『シン・ゴジラ』
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高層ビルで『シン・ゴジラ』を語る会
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