(インド編 素人の試論のつづき
インド聖典につかわれる言葉)
実在の霊の性質 三位一体
(存在 純粋意識 至福)
存在(サット ただ在る)は
別名 パラブラフマン、神
純粋意識(チット)は
別名 プルシャ
至福(アーナンダ)は
別名 シャクティ(力)
である
神(ただ在る)のシャクティ、力から
のマーヤー(空想力 反力)により
幻想の歓喜があらわれて
帰還は
神(ただ在る)の純粋意識(チット)の引力(観照)により
癒し(霊化 平和)にもどる
神(サット ただ在る)のシャクティ(力)から
マーヤー(幻想の個)があらわれ
そして
マハット(普遍的意識)があらわれる
さらに
このマハットを
プルシャ(最高基盤 独存)だと勘違いすることにより、
あらたな主体である神からの分離を現実にした
アハンカーラ(自我)があらわれる
以上、インド形而上学からの素人が整理してみました
感想
いずれにせよ
ただじぶんじしんで在るだけでいいということでしょうから
むずかしく考えると、ドツボ(サレンダー?探求、修行?などなど)にハまりそうなので
そうじゃなく
スピリットはフラクタル(相似)なので
何もする必要はないのだとシンプルさを思いだすことにしましょう
^_^
ログインしてコメントを確認・投稿する