補足
サーンキア哲学では
自性(プラクリティ)のあとに発生するマハット(意識)を
プルシャ(最高基盤)と勘違いするとき
自我(アハンカーラ)が発生する
という
つまり
奇跡講座では
もしわたしがいたら?のあとの意識発生
のあとに
発生した意識が独立していると勘違いしたとき
自我(神からの分離)を現実にし信じこむということになるということである
ちなみに
サーンキア哲学では
マハットの反映である顕在意識自体
に気づかずにいると(朝の目覚めのあと約1分を過ぎると)
自我信念が有効化されてしまい
自我の対象に自我意識があらわれそれをジョーティ(火または光という意味だそうだ)という
そのなかに投影された身体や世界が自我で意識されることだろう
つまりジョーティ(自我の対象意識)というのは
奇跡講座のいう形而上の
自我が作る、偽の闇(無、死、あるいは怒れる神の光)
の場であり
投影の身体、世界が映されている
ということになるのかもしれません
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