ノンデュアリティについて
純粋意識は 身体
や
私の意識
に
限定されない
私の意識は熟睡や気絶、昏睡により失われたりします
熟睡しているときは個(私)人(身体)は存在しません
死んだとき
純粋意識をしらなければ
別の夢見を見ていることになります
(整理)
完全無努力(純粋意識、存在意識)
わたし(遊戯、探求エネルギー、反対は恩寵、いやし
オートマチック)
そして自我がまだない無自我努力的な意識つまり日中や夢見の
基盤となる意識状態
そうして努力意識(自我による意識、世界を区別
知覚、思考、感情、
これらも純粋意識に無知であれば
死後もあるといえます。
修行に関していうと自我が意識、アウェアネスをとらえていると勘違いしている
想念意識
にだまされている場合や
マインドフルネスという知覚へのフォーカス強化が悟りに近いという勘違いがあります。)
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