誰かの発想について、なにかを書きたいと思うことがあります。
でもその時点では、なにを書きたいのか、はっきりと言葉になっていないことというのがままあります。
会話の中でそういうことが発生すれば、会話の中で言語化されていくこともありますが、チャットでのやり取りでは、そのまま書き込むのをやめてしまうことが多いです。
言葉にしにくいことというのは、内容自体を書くことに心理的なハードルがあるケースがありますが、今回はそれではなく、自分の中でその時点で意見や答えが固まっていないことを言葉にすることについて書いていきたいと思います。
自分の中で固まっていない言葉を文字にして発信することはなかなか難しいことです。
ロジックがまだ見つけられていないことを口で語るのは証拠が残らないから気楽ですが、文字に残されるとロジックの粗が見えてしまって送信することをためらってしまいます。
自分は少なくともそうですし、過去何度もチャットの中で誰かの”入力中”の表示が出てたけど、結局なにも投稿されないということが有りました。
文字にするというのは案外気軽ではないのです。
これは仕事や他者とのコミュニケーション等の現代様式からくる習慣のようなものなのかもしれません。
一方で私の実感として、そういう言語化やロジックのぎこちなさを無視して投稿した言葉には、自分自身の思考を進めたり、それまでの平衡状態を崩すようなことが多くありました。
結局その時に感じたことは、自分が思っているほどロジックの粗があってもいいし、自分自身の主張が固まってなくてもいい、ということでした。
投稿する言葉によってどう見られるのか、あるいは自分がどう見られたいのか、というような他者からの期待や評価というものは、自分が思っているほど固定的でもないし、非寛容でもないのです。
自分勝手に生み出した虚像に怯えて、勝手に文字にすることを避けてしまっていたのかもしれません。
ある意味で、言葉にすること、文字にすることというのはその内容以上に、その行為に意味があるのかもしれません。
その行為の結果、出会った意見や風景を思い出しながら。
以上
【最近のGratitude】
・Deep Sleep
Lately, I’ve been feeling fatigue constantly, with the muscle under my right eye twitching, and I find myself getting irritated over trivial matters quite often. During such times, I make a conscious effort to sleep longer and deeper. Deep sleep skillfully unravels and removes the intertwined problems that are difficult to resolve in reality.
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