mixiユーザー(id:11073381)

2024年03月11日04:32

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女工哀史

紡績工場とかでは手先の器用な女性が労働力になっていた。女工哀史とかで非常に厳しい労働条件が描かれているが、実はこれは当時の先進国を真似しただけのこと。日本だけの話では全く無い。ドイツでは1870年頃、工場での労働時間は一日16から17時間、日曜も働かされていた。週平均で78時間という状況だった。しかも、ちょっと遅刻すると給料半減とか、工場オーナーの気まぐれで労働条件が決められており、機嫌が悪ければ解雇とか当たり前だった。しかも多くは通いで通勤しており、家に帰れば家族に飯を作るとか洗濯するとか、家事をこなさねばならず、睡眠時間はほとんど取れないような状況が多かった。しかも食事は極めて質素で、小麦粉の団子を塩だけの汁に入れてとか、今では考えられないレベル。仕事の合間に休憩時間があれば、短い時間でも機械の下で死んだように眠った。非常に暗い中での仕事なので(電球が発明されたのは1879年)、目が悪くなる人も多く、そうなると即解雇だった。こういった話は遠い昔の事のように聞こえるが、資本主義というのはそんなに甘くなくて、今でもインドやパキスタンとかで似たような条件で働いている人が沢山居る。それでも働かないよりはまし、という事情を利用しまくっている。そういうメーカーの品を不買しても、直接的には働いている人を救う事にはならないのが難しいところだが、考える、そして考えた事を人と話し合う、これが大事かな、と思う。
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