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2024年01月23日00:38

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ちょっと気になる医療と介護 増補版 権丈 善一 勁草書房 2018年2月1日

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p.227
 世の中には、以前から、「上げ潮はあらゆる船を浮かばせる」という上げ潮政策というものがあります。この言葉――A rising tide lifts all the boats――は、ケネディが大統領当時の1963年にスピーチで使っており、少なくとも50年以上の歴史があります。この上げ潮政策が経済政策として取り上げられることになるのは、レーガン政権下の1980年代でした。その時代、「金持ち優遇政策は、長期的には万人に利益をもたらすし、その利益は累進課税や再分配的な社会福祉政策という代案より大きい⁵⁷」という解釈の下に、サプライサイダーという経済学派による主導の下に展開されていきました。そこでは、高所得者を優遇すれば成長が起こり、この上げ潮政策の下で低所得者の生活を向上させる方法としては、経済全体の成長の結果として、あたかもシャンパンツリーの一番上のグラスから下のグラスにシャンパンがこぼれ落ちるように、そのしずくが下の方にまでしたたり落ちる(trickle-down)ことが期待されていました。このような、上げ潮政策とトリクルダウンがセットになった考え方には、上げ潮政策、つまり、高所得者優遇は成長を促す効果があるという前提があります。ところが、そうした政策を展開しても、別に成長が加速されるわけではない、つまりは潮を上げるような政策など存在しないということになれば、上げ潮政策とトリクルダウンがセットになった政策思想はどのような意味を持つことになるでしょうか。
 もし仮に、上げ潮政策により成長が加速されている時に、トリクルダウンが起こらないのであれば、GDPが大きく伸びながら所得分配の格差が広がっていることになります。多くの人たちは、「トリクルダウンは起こらない」とか「トリクルダウンは起こっていない」という批判の言葉を、こうした状況を想定して使っているようです。しかしながら、上げ潮政策なるものを展開しようがしまいがGDPの伸びにさほどの変化がない場合、つまり第2章で紹介したように、ピケティが指摘する「1人当たり国民所得の成長率は、過去数十年間、ほぼすべての先進国でとても似通った数字」である場合、トリクルダウンという言葉を使う余地はどこにあるのでしょうか?
 そこで起こっていることは、単なる格差の拡大でしかなく、この状況での上げ潮政策を構成する諸施策は、限られた一定のパイを高所得者に優先的に分配するための政策の言い換えに過ぎなくなります。第2章で述べたように、「世界の技術最前線に躍り出た」日本でも、かつてのような経済成長は起こせるものという古い観点から、そうではないという新しい観点に切り替われば、上げ潮政策やトリクルダウンという言葉の意味も、自ずと変わってくることになります。
p.229
なお、僕自身は、知識も技術も生活水準も成熟社会の仲間入りをしている日本では、労働市場での一次分配の改善を図り、所得の再分配を強化し、今よりも社会サービスを充実させる方が、わずかにでも成長力を高めるとは考えています。それは、次のような考えに基づいています。

手にした学問が異なれば政策解が変わる
 と言っても、ここからはちょっとマニアックと言うか、この経済学者、いったい誰? っという感じの話になります⁵⁸。僕は、三田での社会保障論の講義で、「マルサス、リカードと社会保障と関わる経済学の系譜」というのを、何週間もかけてやるわけでして――、その内容の大まかな話だけでも、ここに書かせておいてください。たぶん、僕はこの本を、テキスト指定すると思いますので書いておかねばならず、おゆるしを……僕の授業の履修者でもないのに、最後まで辿りついた人には、座布団1枚! さしあげますから。

 第1章(5頁)に登場したマルサスは、ケインズよりも100年も前に有効需要という言葉を使っていた経済学者でして、彼は、次のような言葉を残しています。
p.230
 アダム・スミスは、「資本は節約によって増加し、すべてのつつましい人は社会の恩人である……」と述べている。……貯蓄の原理は、過度にわたるときには、生産への誘因を破壊し去るであろうことは、まったく明らかである。……生産力と消費への意志との双方を考慮に入れた場合に、富の増加への刺戟が最大になる中間点(intermedeiate point)がなければならない、という結論となる⁵⁹。

 このマルサスの論をグラフにすれば、次の図表83のようになるでしょうか。
 社会の総貯蓄が横軸にあるとします。そして第1章で紹介したスミスの資本蓄積論や、セイの法則と言われている「供給はそれ自らの需要を創る」が成立するのならば、貯蓄は多ければ多いほど、それが投資にまわって生産力が増強され、生産されたものは売れていくことになります。
p.231
 ところが、マルサス、あるいは最終的にはケインズによって理論づけされていく考え方は、高所得者や企業、場合によっては政府による社会全体の総貯蓄が多すぎると、行き着く先は過少消費に陥って、経済の成長力が落ちていくというものです。
 ここで、ひとつ、みなさんに考えてもらいたいことがあります。
 世の中の所得は平等に分配した方が経済の活力が高まるのか、不平等に分配した方が経済の活力は高まるのか――みなさん、どう思われますか?
 スミス以来続いてきた信念は、ケインズが指摘した「資本の成長は個人の貯蓄動機の強さに依存し、われわれはこの成長の大部分を富者の余剰からの貯蓄に仰いでいるという信念⁶⁰」であり、それゆえに〈高所得者から低所得者への所得再分配は資本の成長を阻害するために望ましくないとする思想〉が支配的でした。
 つまり、高所得者の限界的な貯蓄性向は低所得者のそれと比べて高い。
知識補給・限界貯蓄性向って言われても、分からないよっという人に 332頁へ
 (いま、知識補給を読んできた人にも分かると思いますが)高所得者から低所得者に所得を移すという所得の再分配は、社会の総貯蓄を少なくします。したがって、セイの法則が成立すると考える世界では、所得の再分配は経済理論上、望ましくない政策とみなされることになります。そして、低所得者の生活を向上させるためには、経済全体の成長の結果として、そのしずくがしたたり落ちる(trickle-down)方法で図っていくことが望ましいということになるんですね――こうした考え方は先ほど論じた「上げ潮はあらゆる船を浮かばせる」という上げ潮政策において、核の役割を担うトリクルダウン理論と呼ばれてきたのですが、理論と呼ばれてきたわりに、歴史上、いまだ確認されたことはありません。
p.232
 他方、ケインズがその中心にいる経済学では、セイの法則は否定されます。そこはシュンペーターが評するように、「(ケインズの)教義は、実際にはそういっていないかもしれないが、貯蓄をしようとする者は実物資本を破壊知るということならびに、貯蓄を通じて、所得の不平等な分配は失業の究極的な原因となる⁶¹」世界です。セイの法則どおりにことが進まないのは、個々には妥当しても全体を合計すると妥当しなくなるという「合成の誤謬」が成立するからです。これはケインズが『一般理論』で説いた考えの基礎にあるもので、そうした、セイの法則が成立せず合成の誤謬が支配的な世界では、経済に活力を与えるためには、むしろ、限界消費性向の高い中・低所得層の購買力を高めることで、社会全体の需要(総需要)を増やす方が妥当な政策ということになります。
 次の図表84の山型の曲線をみてください。
 社会が極大点s*(経済成長の極大点)の左側にあれば、高所得者や企業による貯蓄の増加が、生産そして消費の拡大を生んで経済を成長させるでしょう。しかし、市場による所得の分配が高所得者や企業に偏っていき、貯蓄水準がs*を越えて右側の世界に入ると、供給力の増大に需要が追いつかなくなると予想され、過剰供給・過少消費の世界に入ります。そうした世界では、生産力を拡大してもそれに見合った需要が見込めないのですから、個々の企業は期待利益率を低く予想するようになり、どんなに生産者たちを優遇しても生産力を拡大するための投資は増えなくなります。そこで需要を拡大して社会の富を増加させるために、労働市場を補整して労働者の賃金水準を高めたり(一次分配の補整)、高所得者から中・低所得者へ所得を再分配したり、さらには政府が、田畑に水を供給する灌漑施設のように、公共サービスを国民経済への灌漑施設として国内全域に張りめぐらせるために医療、介護、保育、教育などの社会サービスを拡充することにより総消費を下支えしようという考えが出てきます。現在の日本ですと、家計や企業のストックをできるだけ限界消費性向の高い層や高い分野へ回してフロー化することなどが、経済政策としてプラスの働きをすると考えられることになるわけです。
 ケインズの言葉を直接借りれば、次のように表現されるということでしょうか。

消費性向と投資誘因とを相互調整するという仕事にともなう政府機能の拡大は、19世紀の政治評論家や現代のアメリカの金融家の目には、個人主義への恐るべき侵害だと映るかもしれないが、私はむしろそれを擁護する。
p.234
現在の経済体制が全面的に崩壊するのを回避するために実際にとりうる手段はそれしかないからであり、同時にそれは個人の創意工夫がうまく機能するための条件でもあるからだ⁶²。

 学問の怖いところですね。その人が手にする学問によって、政策解がまったく異なってしまいます。まず、政策を論じている当人たちが、そうしたことをどこまで自覚しているかということがあります。たぶん、自分が手にした学問がどういう性質のものであり、自分が唱えている政策がどのような前提から導き出されているのかを意識している人はあまりいないと思います。ただ、たまったものではないのが、そういう経済学の世界とはまったく関わりのない人たちです。とくに社会的弱者は、経済学のなかでの思想の闘いという奔流に翻弄されることになるわけです。端からみると、経済学はいったい何をやっているんだと思われるかもしれませんが、これは、人間の性と言いますか、人間というのは双方の論に証明できない隙があれば、必ずそこを突いて流派が対立するもののようです。

右側の経済学と左側の経済学
 さて、いま、ここで論じた話は、僕が昔から言っている右側の経済学、左側の経済学の話に基づいています。僕は、かなり前から、次の図表85のような、「社会保障と関わる経済学の系譜」という経済学全体のマップを意識していました。
 この図にあるように、アダム・スミスから経済学が始まると考えていいのですが、スミスの直後に、経済学派、ジャン=バティスト・セイやリカード流の、この図で言えば「右側の経済学」と、マルサス流の「左側の経済学」に分かれます。
p.235
 この「経済学の系譜」の左側は、主に、ケインズの『雇用、利子および貨幣の一般理論』の第23章「重商主義、公理禁止法、スタンプ付き貨幣および過少消費論に関する覚書」に基づいています。
 先ほども触れましたマルサスは、アダム・スミスに反論し、そしてスミスの考えを単純化して継承したリカードやセイに対しても反論するのですが、残念ながらずっと無視されます。そして両大戦間期に、ケインズによってマルサスは左側の経済学の開祖として位置づけられ、表に出てくることになります。
 では、右側の経済学と左側の経済学のどこが違うのか。その違いは、経済規模を規定する主要な要因を供給とみなすか、需要とみなすかで生まれると考えられます。
p.236
 右側は、供給が経済を規定すると考える。対して左側は、需要が経済の規模、そして成長力・推進力を規定すると考えます。もっと言えば――この理屈は、歴史的には事後的に考えられていくわけですけど――、右側の経済学では、人は貨幣からは効用を得ることがなく貨幣そのものへの需要は規定されないのですが、左側では、人は貨幣から効用を得、貨幣そのものに対する需要があると考えます。
 そして左側の経済学では、貨幣からの効用が追加的な財・サービスからの効用より大きい時に経済は停滞し、経済規模が拡大するのは、消費者にとっての追加的な財・サービスからの効用が、貨幣からの効用よりも大きくなる時に起こると考えます。したがって、ある時代ある時代において、既存の財・サービスが消費者の間に広く行きわたってしまう、すなわち需要がある程度飽和すると経済は停滞することになり、新たな発展のためには、みんなが、それ自体大変大きな効用をもたらす貨幣を手放してでもどうしても手にしたくなる魅力的な新たな財・サービス――たとえば1950年代後半の三種の神器(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)、高度経済成長期の3C(カラーテレビ、クーラー、カー)――の誕生が必要になると考えることになります。そしてそうした財・サービスが消費者の間に行き渡り、需要が飽和すると(5頁のロビンソン・クルーソーとフライデーのお腹が小麦と牛肉で満腹になる生産高を想い出して下さい)、経済成長は鈍化してしまいます。
 ここで、世の中が大きく誤解してしまっているのが、ケインズからヒックスを経て、アメリカ・ケインジアンに向かう流れです。ケインズの『一般理論』が出版されたのは1936年2月ですが、ヒックスはその年の9月、オクスフォードで開かれた学界でIS-LMモデルを発表します。このIS-LMモデルがアメリカに渡ってサミュエルソンの「新古典派総合」を通り、アメリカ・ケインジアンを作っていきます。
p.237
ただし、ヒックスのIS-LMモデルは、ケインズと一緒に『一般理論』を考えていった若い経済学者たち――リチャード・カーンやジョーン・ロビンソンなど――からみると、ケインズとはまったく異質のものにみえました。そのため、ジョーン・ロビンソンはアメリカ・ケインジアンを"Bastard Keynesian"(ケインズの庶子)と呼んで批判します。そしてヒックス自身も、85歳で亡くなる2年前に、「この2つの曲線(注:IS曲線とLM曲線)を一緒に処理することはできない。1つはフロー均衡であり、もう1つはストックだ。これらを同じグラフの中で取り扱うには無理がある⁶³」という言葉を残しています。
 社会保障という所得再分配政策を研究してきた僕にとってしっくりくる経済学は――"Bastard Keynesian"があるのならばと、僕が名づけたのですが――、"Legitimate Keynesian"(ケインズの嫡子)とでも呼びましょうか、”経済というものは不確実なものであり、将来というものは基本的に分からない。だからこそ、さまざまな困った経済現象が起こるのだ”と考えるグループです。ここで、右側と左側の経済額の違いをまとめると、次のようになります。
p.238
 右側の経済学では、スミス以来の「見えざる手」が前提とされています。この前提のもとでは、ケインズが批判した「私的利益と公共善の間の神の摂理による予定調和」という思想が帰結されるため、基本的には政府の役割は否定され、レッセ・フェールが尊重されます。
 対する左側の経済学では、「合成の誤謬」という考え方が置かれます。そうした前提が置かれた世界では、個々の経済主体が自らに都合の良いように行動すると、全体として不都合が生じてしまう――したがって、市場でも政府の会議でも私的利益に基づいて行動する民間ばかりに任せてはいられない。公共の利益を優先するためにレッセ・フェールは否定され、資本主義経済を全面的崩壊から救い個人の創意工夫を守るためには、政府介入もやむを得ないと考えることになりまうs。
 こうした合成の誤謬の世界で未来のことを分かろうとしても無理があるという意味での、フランク・ナイト流の「不確実性」を前提として流動性選好、貨幣経済のロジックをたどると、「セイの法則」と呼ばれる「供給はそれ自らの需要を創る」という法則が必ずしも成立しなくなります。未来のことはよく分からないから、将来、どんなものにでも転換することができる「貨幣」にこそ、強い需要が生まれるというのが、左側の経済学ではセットになった考え方で、流動性選好というのはそうした考え方が根底にあります。
 ところが、せいの法則の成立を前提とする右側の経済学では、未来については、リスク分布を既知として将来予測は可能であると考えるため、数学で言うエルゴード性の公理、つまり過去からの標本データが将来の標本データに等しいという想定が置かれることになります。
p.239
"Bastard Keynesian"である新古典派総合の創始者、1970年のノーベル経済学賞受賞者であるサミュエルソンも、経済学が真の科学であるためにはエルゴード性の公理を置かざるを得ないと論じていますね。
 したがって、右側の世界では、将来を非エルゴード的世界、すなわち予測不可能な不確実な世界としてはみないので将来の不確実性に対して、お金を手元に置いていなければならないという貨幣ニーズは生まれません。お金は商取引のあり様そのものに影響を与えるわけではなく、物々交換を効率よく行わせるためのヴェールにすぎない――この「貨幣ヴェール観」が、貨幣数量説の基礎にあって、貨幣数量説には、日銀当座預金の存在など眼中になく、この説を素直にたどれば、デフレは貨幣的現象にすぎないことになり、中央銀行がお金をどんどん刷ったり、国債を新発・既発にかかわらずどんどん購入していくと物価は上がるというような考え方に行き着きます。
 将来は不確実であるという前提を置くからこそ、貨幣に対する需要が生まれ、貨幣ヴェール観と訣別することになり、貨幣需要の理論である流動性選好につながっていきます。こうして作り上げられていくのが、左側の経済学である「ケインズの嫡子("Legitimate Keynesian")の経済学」です。
 ところで、図表86には、貨幣経済、実物交換経済という用語があります。これは、ケインズが、1930年の『貨幣論』から1936年『一般理論』に向けて貨幣数量説からの脱皮の過程にあった1933年に、第1章で紹介したスミスにはじまる物々交換社会(スミスの場合は彼の言う生産的労働による生産物、すなわち財の物々交換社会)を想定した先人たちの経済学を評して、書き留めた言葉です。このあたりは、僕の好きなところなので紹介させてもらいますね。
p.240
 貨幣を使用してはいるが、実物財や実物資産の取引を結ぶ単なる中立的な連鎖(link)としてのみ使用し、貨幣が動機や意思決定に影響することを認めない経済は、よい名称はないので、実物交換経済(real-exchange economy)とでもよんでおこう。私が切望する理論は、こうした経済を否定して、貨幣がそれ自らの役割を演じ、動機や意思決定に影響を及ぼすのである。端的に言うと、貨幣が状況に影響を及ぼす要因となっている経済であり、はじめの状態と終わりの状態との間での貨幣の働きにかんする知識なくしては、長期あるいは短期のいずれにおいても、事態のなりゆきは予測され得ないのである。そしてわれわれが貨幣経済(monetary economy)について語るときに意味すべきは、まさにこのことである。……
 したがって、私が次に取り組むべき課題は、そうした生産の貨幣理論(monetary theory of production)を詳細に作り上げることになると信じている。それこそ、私が自分の時間を浪費していないという確信をもって没頭している課題である。
Keynes(1933), The Collected Writings of John Maynard Keynes, Volume XIII, pp.408-411.

経済政策思想の流れ
 ここで、図表85(235頁)と次の図表87における歴史的な経緯を少しばかり説明しておきましょう。
 まず18世紀はじめのマンデヴィル『蜂の寓話』によって「経済は需要が大切なんだよ」という左側の見方が示されます。しかし、スミスの登場によって、経済学の主流は右側に移ります。これに抵抗したのがマルサスで、後にママリー、ホブソンなども抵抗する。
p.241
 ホブソンは、なぜ帝国主義が起こったのかと問い、これは効率的に貯蓄が増える社会の仕組みを作りすぎたことに原因があると考えます。所得分配を不平等にして、高所得者に多くの所得を持たせるという形で貯蓄を効率的に行って投資をするんだっという社会を作ったら、国内で需要が不足してしまった。したがって、資本は軍旗のもとでの輸出を展開していくというような「帝国主義論」、後にレーニンに影響を与える論を作っていきます。しかし、ホブソンも、時代のなかで右側の経済学者たちから敵視され、経済学者としては不遇な人生を送ります。
 そして、時代は両大戦間期の大恐慌まで進み、ケインズが、経済学の流れを左側に引き寄せようとします。しかし、左側へのシフトは図の中央の新古典派総合で止まってしまう。そして戦後、サミュエルソン『経済学』の第3版(1955年)で初めて言葉として登場する新古典派総合(neoclassical synthesis)が主流の地位を確保するのですが、これも1960年代に入るとおかしくなり、サミュエルソンも1967年の第7版でこの言葉を使うのをやめています。

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■振り分け拠点で「関連死防ぐ」=医療チーム、病院疲弊で機能代替―長期避難、高齢者に負担・能登地震
(時事通信社 - 01月22日 14:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=7720531

 能登半島地震の被災地では、慣れない長期間の避難生活を強いられ、体調や持病を悪化させる高齢者が相次いでいる。災害関連死を防ごうと、防災ヘリで搬送された人を病院などへ振り分ける拠点が金沢市内に設置され、医師らが活動を始めている。

 拠点は「広域搬送拠点臨時医療施設」(SCU)と呼ばれ、県の一時避難所となっているいしかわ総合スポーツセンター、県産業展示館もある県西部緑地公園の駐車場に設けられた。大型テント2カ所に診療所と救護所があり、災害派遣医療チーム(DMAT)が16日から、医師2人、看護師4人、事務スタッフ4人の計10人で対応に当たっている。

 避難者らが体調を崩した場合、これまでは市内の災害拠点病院が一元的に受け入れ、入院が必要か否かなどを見極めてきた。だが、避難所での感染症の広がりなどもあって拠点病院の医療従事者が疲弊、受け入れが困難な状況に陥った。

 このため、SCUは拠点病院の一部機能を代替し、搬送された高齢者らを医療機関につなぐか、高齢者施設や避難所に移送するかを判断。「(治療の優先順位を決める)『トリアージ』のような機能」(DMAT事務スタッフ西健太さん)を担うことになった。

 SCUには1日当たり数十人が、能登地方から1時間かけてヘリで搬送されている。第2陣のSCUを指揮した関西医科大総合医療センターの和田大樹医師(44)によると、「80代以上の高齢者施設や特別養護老人ホームからの依頼や搬送が目立つ」という。

 和田医師は「断水などで衛生環境が整わず、長期の避難所生活で衰弱している人もいる。これは高齢者や要介護者の災害関連死を減らすための活動だ」と強調した。


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