いいひとを演じているのか、主義なのか、小心なのか判然としないが、自分は他人に注意するということはまずない。ひとはひと、自分は自分。よく言えばクールだと思う。
昨日、市民運動を一緒にやっている男へ必要に駆られてメールを出した際、「頭の良さにうぬぼれるような真似はやめよう。最低限のマナーさえ守らない、というのは傲慢か怠惰かのいずれかである」と書き添えた。仲間みんなで作ってきたパンフレットの最終デザインを彼が担当することになっているのだが、私が送った最終原稿を無責任にも放置していたのだった。彼にはこれまでにも怠慢な対応がたびたびあって、しかしそれもまたよかろうと、鷹揚に構え続けてきた。昨年、彼は雑誌社をクビになって、現在はアルバイトで糊口を凌いでいるのだが、たぶん身から出た錆だろう。
彼には少々きついアドバイスだったかもしれないが、この先働いて生きて行く以上、この程度のちっぽけなルールくらいは守らないと、信用を得ては失うの繰り返しで人生、損してしまう。いや、損をしたけりゃ今の自分を貫けばいいのだが。
しかし、他人を叱るというのは後味悪い。
本日17日、残暑見舞いを2通ばかり書いた。書いていると気持ちが和む。
一通は小学校時代の幼なじみで、彼はいまだに人柄が良さげなので、屈託のない近況報告を綴ってみた。
もう一通は、10年前に亡くなった友人宛だ。生きていたら年は同じ。毎年、8月になると、奥さんが住んでいる住所宛てに友人の名前を表書きしたはがきを出すのが習慣となった。彼も私も負けん気が強かったので、たびたび衝突をしたが、なんでも遠慮なく言い合える仲だった。彼が生きていたら、互いに体力・気力だって衰えているから昔よりソフトな会話が出来るだろう。生きていて欲しかった。
このところ頭を使う時間が増えて、精神的な疲労が蓄積されている。
こういう時にしょうもないミスをやらかす。
正午前、偶然たどり着いたある老人のブログにちょっと惹かれて何本か読んだ。私の郷里・西宮市で5年前まで喫茶店を営んでいて、自称詩人で、地元のタウン誌にエッセイを連載していて、1冊か2冊、本も出されていた。試しにブックオフオンラインで彼の名前を検索したところ、3年前に出たエッセイ集が割と安価で売られていたのでポチった。彼を知ってわずか20分後である。
出来れば社会とも人間ともいっさい関わり合うことなく、余生を過ごしたい。これが自分のホンネなのに、一方で常に「出会い」を待っている。恥ずかしいほど単純な言い回しだが、人間ほど素敵なものはない。私はどこかで神よりも人間を信じている。神からではなく、人間から教えを乞いたい。
昨晩と同様、今宵も坂本龍一のピアノ曲をコンポで流しながら、1時間くらい静かに本と向き合おう。一昨日借りた図書館本が想定以上の内容で、楽しみで仕方ない。
ログインしてコメントを確認・投稿する