先生の「ワクワクしない」という言葉で私は自らの欲望に対して真剣に向き合う事を示唆されたのだと解釈している。
とりあえずは欲望というものの一般的な解釈との齟齬を述べたいと思う。欲望は悪いものという解釈は間違っている。逆に良いものだというのも間違っている。欲望はニュートラルな現象に過ぎない。自然界の色々な生物は本能にもとづいて行動している。人間の欲望も同じようなものだ。欲望なぞと違う言葉にするのは僭越かもしれない。
で、自分の欲望と向き合ってみる。するとこの欲望というものが実にあやふやなものである事を知る。つまりいちばん身近な自然である。うっかり自分の欲望を定義してしまう。すると間も無く否定される。飽きてしまうのだ。
人間つまり私と貴方の中の意識は表層に過ぎず、無意識の方が膨大な比率を占める。
卑近な例では私は何故こんなにもバイクの修理に時間がかかったのか?本当は治したくなかったのではないか?そして、その結果としての写真撮影をしたくないのではないか?判らない。無意識の私が何を考えているのかは表層の意識の私には判らない。去年のような手法の撮影に飽きている事は私どころか先生も飽きている。
ああ分かった、バイクが治ると難問に向き合わなくちゃいけなくなるんだなw。だけど難問に向き合いたいというのが私の欲望だと思っているけど、無意識はそうではないと思っているかも知れないし、なんだかわけがわからない。
ログインしてコメントを確認・投稿する