私は若い頃、努力という言葉が大嫌いだった。両親から言われた。特に母親だったろうか?親父は好きな事をやっているのだから言わなかったかもしれない。
明石家さんま氏も努力が大嫌いだと聞いて共感した。だが、さんま氏ははたから見てれば努力しているようにしか見えない。
当時、私が思っていた努力とは「嫌な事でも頑張ってする」というものだった。だがそんなものは労働していれば当然のように強制される。奴隷なんかもっとだろう。
努力の定義が間違っていた。奴隷に果たされる当然の行為にわざわざ名前が付く筈がない!つまりこれは自由人に与えられる権利だったのだ!
奴隷でなく自由人なら少しでもラクしたい、これは当然だろう。ラクする事を追求するのも悪い事ではない。成功している事例もある。動物では二枚貝、植物のように海底でプランクトンを濾過して食べている。何もしなくていい、ただそこに居るだけ。それで良いならそれでいい。
何かしたいじゃない?それが努力だと定義を改変した。
面白い事がしたい!その為に辛くても構わない、それが努力だ。
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