mixiユーザー(id:11073381)

2021年12月28日04:31

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手仕事の終焉

マイミクさんのつぶやきに触発されて工芸・手仕事について書こうかなと、、柳宗悦が手仕事の日本という本を書いたのが1943年(昭和18年)。大正時代から彼は民芸運動の主導者だった。民芸運動と言うのは多分欧州のアーツアンドクラフト運動と連動していたと思う。それは工業化された製品に満ちた生活に対するアンチテーゼだった。この本の中で柳は、手仕事の重要性、正常の美・健康の美を説くと共に、地方の存在の重要性、そして最終的には美は世界を繋ぐと記している。「この世の人達は、名を記す必要の無い品物の値打ちを、もっと認めねばなりません。そうして自分の名を誇らないような気持ちで仕事をする人達のことを、もっと讃えねばなりません。そこには邪念が近づかないでしょう。ですから無心なものの深さに交わり得たのであります。この世の美しさは無名な工人たちに会うていることが、如何に大きいでありましょう。」当時はまだ多くの手仕事が存在していたのだ。

2001年に出版された塩野米松の「失われた手仕事の思想」は、60年後の日本の状況を記している。そしてこの本は「手仕事の時代は終わったのだ」という一文で締めくくられている。手仕事の時代には相応した倫理があり、それは今では通用しなくなってしまった。現在は新たなルール・倫理を模索している段階かもしれないが、安易に簡便さを望めば混乱の時代は続き、安定は低い方向へ落ち着くだろう、と。手仕事の時代の倫理観というのは、よいものを精一杯の力で作り世に送り出す送り手と、良いものと悪いものを区別選択出来る使い手であり続けるということだ、と。

しかし現状は、急速に手仕事の時代から遠ざかっていて、いつの時代にか、過去の職人が残した品を見て再現・復興を試みる人が出て来るかもしれない。が、それは遠くて時間の掛かる道程だろう、と。

今を人間不要の時代と言い切るのは躊躇するが、人間の介入が様々なプロセスで問題になり欠陥であるとされている事は間違いない。人間を排除してプロセスを組んだ方が安定して確実に機能する、ということは何を意味するのだろう。そこからどういった世界観が生まれて来るか、余り考えたくない。

勿論、大企業のような巨大組織でも、この人じゃないとダメ、というような職人芸的な突出したレベルの仕事がある。が、おしなべて人間の努力を評価しない、軽く見る、そういう傾向がある社会は長持ちしないのではないか、などと思うんだが、、要は人間を重んじられる社会というのは、重んじられる人間を養育できる社会という事になるのかも、、何か、年末年始っぽい話になりました、、すいませんね。
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