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2021年12月20日11:20

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人生意気に感ず「今年最後のふるさと塾でペルーを語る。ゲリラに屈しなかったフジモリの決断から学ぶ」

◇今年最後の「ふるさと未来塾」は今年最も厳しい寒さの中、多くの塾生が参加して行われた。テーマは「遠くて近い国ペルー・アンデスの悲劇と今」。私はホワイトボード一杯にフリーハンド世界地図を描きコロンブスの新大陸発見に遡る悲劇の歴史から話を進めた。コロンブスは世界の球形を信じ大西洋を西航し1492年新世界の一端サンサルバドルに至った。この発見は新世界の住人にとっては凄まじい悲劇の幕開けであった。
 繁栄を誇ったインカ帝国も残忍な侵略者ピサロによってあっけなく亡びた。私の最初の話題は世界の注目を集めたゲリラによる日本大使館占拠事件である。
◇私は行政視察で平成8年にペルーを訪れ日本大使館を訪ね当時の青木大使とも親しく話した。大使はゲリラを征服して経済を立て直しつつあったフジモリ氏を激賞した。この数ヶ月後に大使館占拠事件は起きたのである。ゲリラの名はトウパクアマルの革命集団(MRTA)といった。トウパクアマルとはインカ帝国最後の皇帝である。ゲリラ組織がこの名をつかうことにこの国の悲劇が現れていた。
 ゲリラの主な目的は逮捕されている仲間の釈放であった。フジモリ大統領はテロには屈しないことを表明しそれを貫いた。占拠は127日間に及び72人の人質のストレスは限界に達していた。この間に公邸の地下にはトンネルが掘られ準備が進められていたのだ。遂にその時が来て特殊部隊が突入しゲリラは全員射殺され24人の日本人人質も解放された。鎮圧後トンネルを視察する大統領、そして「ペルー・リブレ(ペルーは自由だ)」と叫ぶその姿を私は紹介した。ゲリラに対し妥協するか否かは国としての重要な課題であった。アンデスの住民はゲリラを自分たちの救い主と信じたこともあった。しかしコカインと結びつけた経済及び暴力で自由世界の企業を排撃する方針には光がないことをペルーの国民は知った。ゲリラに妥協せずに経済を立て直すというフジモリ氏の信念は正しかったと思う。アンデスから下りた住民がリマ市で露店のような状況で経済活動に従事する光景も紹介したがそれは中小企業発展の一つの原点に見えた。最後にマチュピチュで写した数枚の写真を説明した。眼下に白い糸のように見えるウルバンバ川、豆腐を切ったように石を積んだ構造物は不可解な文明の興亡を物語っていた。私たちのバスを「サヨーナラ」と叫びながら追う少年の姿が目蓋に焼き付いている。フジモリのその後の失脚は誠に残念でならない。(読者に感謝)

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