シンナーの匂いをはじめて嗅いだのは、
幼少の頃、父と初めて一緒にプラモを作った時だ。
確か、最初に作ったのがオレンジ色のフェアレディZだったと思う。
殆ど父が組み立ててしまうし、塗装してしまう。
子供に何かを教えるというより、
子供を口実にプラモ作りを楽しんでいたのかも知れない。
サラリーマン生活の良いストレス発散にもなっていたのだろう。
その他にも色々一緒に(というか殆ど父が)作った。
カウンタックLP500S、ビートル、あさかぜ、モグラロボ・・・
父はすぐ物を「捨てろ」という人だったので、
今は何も残っていない。
(いや、あさかぜはもしかすると)
中でも、私の中で印象に残っているのが、
ビートル作りだ。しかもこれが普通のビートルでは無い。
グンゼ産業が出していた「おっとっと自動車シリーズ」の、
フロッグワーゲンというモデル。
昭和の或る時期、プラモが男児娯楽の中心だった頃、
然もガンプラなる強力キャラ商品が出る前は、
オリジナルの企画物のプラモも活発に出されていた。
ハセガワ模型のたまご飛行機シリーズもそうだし、
イマイのロボダッチはプラモ業界が生んだ頂上キャラだった。
「おっとっと自動車シリーズ」はそこまで一世風靡企画では無かった気がするが、
世代的に「作った事ある」と思い出す方々が案外いるのではないか(??)。
箱絵が楽しげでアクティヴだったから、
プラモに詳しく無い親や親戚が買ってくれたり・・・
というルートで作るハメになった事があるとか。
私の場合も父が「これ作るか」と買って来てくれた。
ビートルだが、プラモオリジナルのカスタマイズモデルであり、
架空を良い事にコミカル調な水陸両用ビートルである。
私の中で印象に残っているのがボンネット中央のファスナーの箇所。
ここの黒・銀交互の塗装を父が面相筆で仕上げるのを見て、
凄く楽しい気分になった。
あと、グンゼMr.カラーのベージュで、
父がボデーカラーを厚めに塗るのが、美しく見えた。
そんな楽しげな時間を、部屋に充満したシンナーの匂いが彩っていた。
小学校高学年になると、
私もプラモ作りの自立を果たし、自ら色々作った。
ハーレーダビッドソン、カティサーク、三菱F1、船宿、牧場、清水寺舞台、守礼の門、
ランボルギーニウラッコ、ジオラマキット(ノルマンディ上陸作戦)、
艦名忘れたがウォーターライン・・・
でも、意外な事に、ガンプラって1つも作らなかった。
バンダイのカタログは穴が空く程眺めていた記憶があるけれど。
あと、近所に巨大シャアザクを可愛がっている学校仲間がいて、
その方はのちに本当にそうした方向の業界に進まれて、何となく尊敬している。
そんなプラモの時間を過ごした団地は今も存在する。
かつて私と家族が長年暮らしていた号室の窓には今、
見知らぬ誰かの生活が灯っている。
昔々、父と一緒にプラモ作りをしていたシンナー部屋で、
その歴史も知らず赤の他人が寝起きしているであろう事が、
何だか不思議だ。
と言うか、父と過ごしたそんな時代のあった事自体が、
今となっては、何だか不思議である。
そして、ただただ遠く、懐かしい。
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