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2021年03月19日15:48

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シンナー


シンナーの匂いをはじめて嗅いだのは、
幼少の頃、父と初めて一緒にプラモを作った時だ。

確か、最初に作ったのがオレンジ色のフェアレディZだったと思う。
殆ど父が組み立ててしまうし、塗装してしまう。
子供に何かを教えるというより、
子供を口実にプラモ作りを楽しんでいたのかも知れない。
サラリーマン生活の良いストレス発散にもなっていたのだろう。

その他にも色々一緒に(というか殆ど父が)作った。
カウンタックLP500S、ビートル、あさかぜ、モグラロボ・・・
父はすぐ物を「捨てろ」という人だったので、
今は何も残っていない。
(いや、あさかぜはもしかすると)

中でも、私の中で印象に残っているのが、
ビートル作りだ。しかもこれが普通のビートルでは無い。
グンゼ産業が出していた「おっとっと自動車シリーズ」の、
フロッグワーゲンというモデル。

昭和の或る時期、プラモが男児娯楽の中心だった頃、
然もガンプラなる強力キャラ商品が出る前は、
オリジナルの企画物のプラモも活発に出されていた。
ハセガワ模型のたまご飛行機シリーズもそうだし、
イマイのロボダッチはプラモ業界が生んだ頂上キャラだった。

「おっとっと自動車シリーズ」はそこまで一世風靡企画では無かった気がするが、
世代的に「作った事ある」と思い出す方々が案外いるのではないか(??)。
箱絵が楽しげでアクティヴだったから、
プラモに詳しく無い親や親戚が買ってくれたり・・・
というルートで作るハメになった事があるとか。

私の場合も父が「これ作るか」と買って来てくれた。



フォト




ビートルだが、プラモオリジナルのカスタマイズモデルであり、
架空を良い事にコミカル調な水陸両用ビートルである。

私の中で印象に残っているのがボンネット中央のファスナーの箇所。
ここの黒・銀交互の塗装を父が面相筆で仕上げるのを見て、
凄く楽しい気分になった。
あと、グンゼMr.カラーのベージュで、
父がボデーカラーを厚めに塗るのが、美しく見えた。
そんな楽しげな時間を、部屋に充満したシンナーの匂いが彩っていた。

小学校高学年になると、
私もプラモ作りの自立を果たし、自ら色々作った。
ハーレーダビッドソン、カティサーク、三菱F1、船宿、牧場、清水寺舞台、守礼の門、
ランボルギーニウラッコ、ジオラマキット(ノルマンディ上陸作戦)、
艦名忘れたがウォーターライン・・・
でも、意外な事に、ガンプラって1つも作らなかった。
バンダイのカタログは穴が空く程眺めていた記憶があるけれど。
あと、近所に巨大シャアザクを可愛がっている学校仲間がいて、
その方はのちに本当にそうした方向の業界に進まれて、何となく尊敬している。

そんなプラモの時間を過ごした団地は今も存在する。
かつて私と家族が長年暮らしていた号室の窓には今、
見知らぬ誰かの生活が灯っている。
昔々、父と一緒にプラモ作りをしていたシンナー部屋で、
その歴史も知らず赤の他人が寝起きしているであろう事が、
何だか不思議だ。

と言うか、父と過ごしたそんな時代のあった事自体が、
今となっては、何だか不思議である。

そして、ただただ遠く、懐かしい。

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