所用絡みで、昭和マンモス団地の敷地内に迷い込んだ。9月下旬、昼下がり。鮮やかな青空に雲が棚引いているが、地上の花壇は深い陰影を含み、何やら季節の移行を感じさせる。かなしかった。ひとりのアゲハ蝶がオレンジ色の鮮やかな花々を漂い、見上げれば巨大
本日はお休みで、朝からプライベートタスクを幾つか進めたかった。しかし目覚めのからだは思う様には動かず、15時頃にどうにかシャワー、16時に漸くへへ号に乗り込めた。緊迫のプライベートタスクの連続を終え、へへ号をそのまま夜のららぽーとへと走らせる。
「映画館へ飛び込むと、少しホッとする。真暗いので、どんなに助かるかわからない。誰も自分に注意しない。映画館の一隅に坐っている数刻だけは、全く世間と離れている。あんな、いいところは無い」「私は、映画を、ばかにしているのかも知れない。芸術だとは
海の音。畳の匂い。天井の木目模様。誰もいない宿部屋で、大の字。皆は海水浴に行っているのだ。天井の木目模様が動いている様に見える。暫くその動きに感覚を遊ばせたあと、むくりと起き上がり、卓上の湯呑みに、冷めた急須から緑茶を注ぐ。時間がゆっくりと
例えば、答の無い判断の結果を引き受ける時、答の無さに自ら意味を付けて先へ進んで行くのだが、苦しいのは、その意味付けに、横から入り込んで来るものがある時。そういう時は、判断と自分だけの関係で意味付けする事だ。孤独である事を実感しながらでも良い
記憶の映画館へ・・・・・・忘れ得ぬ場面。I’m Pretty Tired. I Think I’ll Go Home Now.
三谷脚本の『真田丸』での、大坂の陣の描き方を思い出すと、感じる事がある。それは豊臣が、複数の要因によって、これでもかという位に敗北の方向へ傾き、滅亡へ吸い込まれて行った事である。幸村は、「私は決して負けない」「のぞみを捨てぬ者にのみ道は開け
タスク終了後、高島屋の品の良い地下食品街をくぐり抜け、トイレを使う。トイレから出た所に自販機があった。水分を出す所から出て、また水分か。緑茶が美味しそうだったので、コインを入れる。30秒位作動音が続き、扉が開くと紙コップで出て来た。啜りながら
日曜日は、1日ほぼ何も出来なかったとしなかったの中間だった。休まったのだろうが、休まらない。朝から晩まで、心身の芯から疲労が取れなかった。現在の自分が置かれている緊迫した状況下に加え、思えば土曜日のタスクの中身がまあまあ濃かった。合間無く4つ
深夜。無くなった飲み物を買いに、自宅から自販機へと向かった。夜空の下、ふと脳が懐かしい匂いを運んで来た。何だろうと記憶に意識を向けるとそれは・・・小さい頃に暮らしていた、団地の家に帰って来た時の、玄関からの匂いだった。直後に、鍋でジャワカレ
奥から、黄色い何かが出て来た。把手の折れた、マグカップだった。アロンアルファで直そうと思いながら、本体に折れた把手を放り込んで、そのままにしてしまっていた。ボトムに行くに従い窄まるフォルムで、黄色いボデー表面には、ピースマークの黒い目と口が
夕方、1100円ヘアカットで10分間散髪。久し振りに短くしたら一層白が目立ち、あたまがロストケアの松山ケンイチみたいになった。当たった男性スタッフは、うんと良くすると佐々木蔵之介みたいな感じで、手際良くテムポ良く、シャコッ、シャコッ、と、切り落と