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2021年03月07日00:54

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キリスト教の伝統―教理発展の歴史 (第2巻) J.ペリカン 教文館

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p.110
『もし、父、御子、聖霊が一つの本性であるなら、ヒュポスタシスの一つが、他のヒュポスタシスなしで、どうして単独でわざを行うことができるのか』」。混乱の原因の一つは、「本性」という用語にあったように思われる。…すなわち、ある時は三者が共通に持つものを意味し、ある時にはそれぞれに独自なものを意味したのである。…しかし「論争が厳密な定義と注意深い区別とを必要とさせたので」「ヒュポスタシス」は、「共有性でも関係でもなく、それぞれの位格や事柄に独自なもの」を意味すると受け取られねばならなかった。他方、「ウシア」は、父、子、聖霊に「共通なもの」を指し、また「本性」はウシアを指して最もよく使われたので、フィロクセノスは、ロゴスの神的な本性は天に留まり、ロゴスの神的なヒュポスタシスは天から降ってきた、という言い方を好んだ。
 エデッサのヤコブの信仰告白文の言葉の中の「天から降り、聖霊とテオトコスであるマリアとから肉体となった、霊魂と理性とをもった肉体」は、この神的なヒュポスタシスであった。従って、受肉を表す適切な表現は、受肉は、相互に区別され続ける「二つの本性において」ではなく、むしろ、一つの複合的ヒュポスタシスとなった「二つの本性から」(起こった)と語ることであった。これよりしばらく前、カルケドン公会議は慎重に「から」を退け、「おいて」と語っていたが、しかしカルケドンの教令のある校定版は、実際に「二つの本性から」に取り換え、また、六四九年のラテラノ教会会議におけるカルケドン信条の繰り返しは、少なくとも伝承された本文の中では、ギリシャ語では「二つの本性から」という用語を用い、ラテン語では「二つの本性において」としていた。他方、両語による会議の教令集では二つの定式を結合し、「二つの本性から、そして、二つの本性において」と言われていた。
p.111
セウェロスによれば、その違いは、「おいて」という前置詞が「分離を表す二重性」を意味し、「から」は「混同のない複合と統一」を支持していた。その上に、この違いは用語法の違いであるだけでなく、教理の違いでもあって、「二つの本性において結び付いている」という言い方でも、「二つの本性において」を受け入れられるものにしなかった。アレクサンドリアのキュリロスの権威に依拠しつつ、セウェロスは「二つの本性から」という定式を真のキリスト論的教理の錨と呼んだ。…
 この定式は、とりあけ、キリストの人間性――言い換えれば、この立場の支持者が依然としてそう呼ぶことを好んだように、肉――は、それ自身の存在を決して持ったことがなく、この統一によって存在するようになった、という意味であった。彼の人間性にはそれ以前のヒュポスタシスがなかったのだから、彼の神性だけがヒュポスタシス、つまり、ロゴスのヒュポスタシスだったのであり、従って、イエス・キリストの位格は「一つの位格と、ロゴスなる神の受肉した一つの本性」であった。
p.112
この背後にあったのは、ロゴスがそれ自身の本性の中に受け取った人間性は「人間がそれから構成されているいかなるものも省略せず、――われわれと同じ本性のもの(であった)」という主張である。その主張は、キリストの物理的な肉体は、復活の時ではなくその受胎の時から、堕落から自由になっていたと主張された時に――それは「単性論」の教えの主流からは断罪された見解であったが――試練にさらされた。もう一つの極端な立場で、やはり排除されたものは、いかなるものであれ、その統一は単に二つの本性の統一ではなく、二つのウシアの統一、すなわち、神的なウシアと人間的なウシアの統一である、という観念であった。なぜなら、もし「ウシア」が通常で適切な意味に取られ、類のすべての個体に共通のものを指すとしたら、ウシアの統一は、「聖なる三位一体は人類全体において受肉し、われわれ全人類と複合したものとなった」という意味になったからである。しかし、それは冒瀆というものであろう。
 従って、「ロゴスなる神の受肉した一つの本性」が、ヒュポスタシスの統一の正統的な教理だったのである。エデッサのヤコブは、それはすでに、肉体と霊魂の複合体としての人間の創造で予表されていたと考えた。ヤコブ派に反対した論敵は、人間における霊魂と肉体と、キリストにおける神的なものと人間的なものとの関係へのこの類比は、教父たちが使っていたことを承認しなければならなかったが、それは、受肉した一つの本性という教理を意味していない、と論じた。彼らはまた、この教理は(受肉したロゴスを意味する愛好された称号である)インマヌエルの位格における神性と人間性との混合と混乱を教えていると主張したが、その擁護者たちはそれを中傷であるとして拒絶した。…これらの言葉によれば、キリストの複合されたヒュポスタシスの内部で、経綸におけるすべての言葉と行為の――「彼は神であるから、神的な事柄の、また、彼は人間となったのだから、人間的な事柄の」――主語は、今や受肉したロゴスなる神であった。
p.113
 ロゴスなる神の受肉した一つの本性というこの主語に、すべての述語が属性の交流によって帰属されねばならなかった。…十字架の上での遺棄の叫び「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」さえ、「いかなる(本性の)分離もなしに、受肉した神のロゴス自身によって語られた」ものであった。
p.114
もしこの告白が、「神性受苦論者」という嘲りの称号をもたらしたら、「彼らは栄光の主を十字架につけた」という使徒の言葉に慰めを得ることができた。受肉したロゴスは「その神的な本性においてではなく、その人間的な本性においてだけ死んだ」というカルケドン派の定式に反対して、ヒュポスタシスの統一のヤコブ派の立場は、統一の後の二つの本性を語ることはネストリオス派の思想への屈伏である、と主張した。…
…エデッサのヤコブは「また、彼が人間になった後でも、われわれは彼を、父と聖霊と共に崇め、彼に栄光を帰す。同様に、聖なる処女マリアがテオトコスであることをわれわれは知り、宣言する。われわれは、彼女をキリストコス(キリストの母)ともアントロポトコス(人間の母)とも呼ばない」(マリアについてのネストリオス派の言い方への攻撃)と告白した。
p.115
ヨハネ福音書二・一九のネストリオス派の釈義は、「イエスを、彼の中にいた神がそれをよみがえらせた、解体される神殿に」した。このような理論は、「アタナシオス」が主張していたように、受肉ではなく、内住であった。首尾一貫して考え抜けば、それが語っていたことは、「キリストは受肉した神ではなく、神を担う人間であることが分かるであろう」ということであった。テオトコスという思想を拒否し、イエスを神殿とする比喩を主張した内住のロゴスの神学は、「人間になったのは主ご自身ではなく、訪れた方が主であり、訪ねられた方は人間であって、主ではなかった」という主張と等しいものであった。
 ここで危機に瀕していたのは、人間の救いそのものであった。…死と悪魔に対する神的な勝利者としてのキリストという教父たちの主題は、単性論派の教説の中で目立っていた。
p.116
なぜなら、それは、受肉したロゴスの位格はロゴスなる神の一つの本性が受肉した時にもたらされた複合体である、という思想とよく調和したからである。「一つの(本性)は奇跡の中で輝くが、他方は危害に服す」というレオの定式は、受肉の経綸を危うくし、キリストの人間性(従って、他のすべての人間性)を、「苦難に対する勝利と苦難の完全な消滅」から奪ってしまうものであった。内住のロゴスの思想は、インマヌエルの受肉と、新約聖書が「われわれすべての人間が、神の本性にあずからせていただくようになる」と語っている、神とのあの結合との間の質的な相違を取り去った。その重要性がヒュポスタシスの統一の神学の発展にとって基本的なものであった聖餐が、この救いをもたらした。なぜなら、エデッサのヤコブがそれを当然のことと見なしていたと思われるように、聖餐は真にキリストの体と血だったからである。そして、ネストリオス派のキリスト論と、リアル・プレゼンスよりも、その記念としての側面を強調した聖餐理解との間には、一つの関連があることが認められたのである。
 自分の党派と他の二つの党派との間の論争を要約しつつ、セウェロスは、「『統一』という用語は、われわれの二つの論敵によっても、われわれによっても、肯定されている。また、二つの本性の結合が起こったことも承認されている。しかし、統一によって成し遂げられたことは何かが――教理の対立の基になっているものである」と宣言した。これは、ネストリオス派、ヤコブ派、カルケドン派のキリスト論の間の争点についての公正な言明である。それが見逃したのは、セウェロスの時代にすでに始まり、われわれがこの章で論じている時期にはとりわけ継続していた、これら三つの党派がそれぞれ独自な定式化を成し遂げつつあったその経過である。
p.117
ネストリオス派は「無限なものと有限なものとの一致、完全なものと不完全なものとの一致」という言い方をし、「キリスト」という名前は統一の位格に適用されねばならない、と主張した。
p.118
ヤコブ派は「『統一』という用語は、われわれの二つの論敵によっても、われわれによっても、肯定されている」ことを承認し、また「二つの本性の結合が起こった」という教理には、すべてのキリスト者が合意していることも承認した。六世紀の新カルケドン主義は「両性から統合された一人のキリスト――それぞれの本性における一人の主」を主張した。ネストリオス派教理におけるヒュポスタシスの二重性も、カルケドン派教理における本性の二重性も、統一を否定するところまでは進めることができなかった。事実、二重性という論点そのものが、それぞれの構成要素の完全性を保つことによって、統一の現実性を守るためのものであった。カルケドン派は、彼らの教説が「統一の後の二つの本性」という言い方をしたとしても、真正なヒュポスタシスの統一を肯定している、と主張した。彼らはキリストにおける統一の教理を解明する目的で、「統一」という用語の種々の意味を調べた。そして、「どちらのヒュポスタシスにおいて神の子を礼拝するのか」という問いに対しては、彼らは「われわれは一つの位格を礼拝する」と答えた。
マクシモスはまだキリストにおける神的な意志と人間的な意志をめぐる論争は知らなかったが、「われわれすべてが一つの本性を持っているので、われわれは神と共に、またお互い同士、一つの精神と一つの意志を持つことができるのである。そしてそれは、神とも、お互い同士とも対立することはない」と語ることができた。「このような用語法はいかに混乱を引き起こし易いか」を示しているこの文章は、「神聖さの頂点を意志の統一に置く一つの霊性――ビザンティン人の間だけでなく、単性論派の間でも、かなりな程度、共通の財産であった(一つの霊性)」を示すものでもあった。神化としての救いの観念そのものが、この霊性の基礎であった。
p.119
厳密さを保つために、「あらゆる面で――神と救われた者たちによって共有される一つの意志」がある、という思想を拒否する必要があった。…しかし、信じる者においてであれ、キリストにおいてであれ、神的なものと人間的なものの統一への推進力は圧倒的であった。…
 このような定式は、「一つの行為」という概念の中に、そして後には「一つの意志」という概念の中に、見いだされた。
p.120
 皮肉なことに、キリストのおける一つの行為という観念の単働論は、ネストリオス派と単性論というキリスト論的な両極からの支持があることを主張することができた。前者は、キリストにおける二つのヒュポスタシスは単一の行為において共働した、と教えた。他方、後者は、「一つのヒュポスタシスの単一の個別な行為」、すなわち統一のゆえに神的な行為があると教えた。この観念の反対者たちは繰り返し、それは、アポリナリスやセウェロスが教えた一つの本性という理論への妥協である、というよりもむしろ、その理論への後戻りである、と主張した。しかし、それは同様に、ネストリオスの後継者たちが、神的なものと人間的なものの真正な統一を救い出そうと努めた手段の採用でもあった。それは、父、子、聖霊によって共有される一つの行為、従って、キリストにおける二つのヒュポスタシスによって共有される一つの行為がある、というものであった。そこで、「単一の行為」の擁護者たちが、二つの行為という思想はネストリオス主義になってしまうだろう、と非難した時には、逆に、ネストリオスは「一つの行為という教理を教えている」と論敵は答えることができた。…
…一つには、行為はヒュポスタシスに属し、従って、単一であるのか、それとも、行為は本性に属し、従って、二重であるのかという問いは、教父たちには生じていなかったことを、両派は承認しなければならなかった。
p.121
この論争の間、しばしば引用された定式の中で、レオは「それぞれの形相(すなわち、受肉したロゴスのそれぞれの本性)は、それに属す行為を、他方の形相において行う」と語っていた。この「形相」という用語は、動詞の主語として主格に置かれていた。ラテン語の綴りに全く手を加えず、ギリシャ語の綴りはほんの少し変えるだけで、レオの定式は、受肉したロゴスは「それぞれの形相によって、それぞれに属す行為を他方の形相との交流において行う」と読まれることができた。この「形相」は、ここでは、奪格的与格と具格的与格に置かれていた。これは、「一つの行為」の擁護者であったコンスタンティノポリスの総主教セルギオスが説明したレオの解釈であった。しかし、もしわれわれが持っている伝承された本文が信頼に値するのならば、彼は別な箇所ではその同じ文章を正確に引用し、行為することを、ロゴスの単一のヒュポスタシスにではなく、それぞれの本性に帰していた。また他方では、彼の論敵であった教皇マルティヌス一世は、それを具格としての「形相」と共に引用したように思われる。こうした本文の状態がどのようなものであったとしても、この論争から生じた公式の定式文――第六回の公会議の教令、教皇の公式な手紙、皇帝の勅令――はすべて、主格を用い、ロゴスのヒュポスタシスではなく、それぞれの本性が「行為する」という動詞の主語になるように気を配っていた。
 論争の中で更にいっそう深い意義を持っていたのは、キリストは「神として神的な事柄を、人間として人間的な事柄を行ったのではなく」、それは「人間となった神の、ある種の新しい神・人的な行為」(アンドローテントス・テウー・カイネーン・ティナ・テーン・テアンドリケーン・エネルゲイアン)であった、という偽ディオニュシオスの言明であった。
p.122
しかし、その伝承の過程のどこかで、おそらくは異読本文の結果として、その言明は「単一の神・人的な行為」(ミアン・テアンドリケーン・エネルゲイアン)となった。アレクサンドリアのキュリロスもそのようにそれを読み、「聖人の一人、ディオニュシオスによれば、一人の同じキリストが、単一の神・人的な行為によって、神にふさわしいわざと、人間的なわざとを行う」と宣言した。キュロスとその同僚たちは、自分の目的に適合させるために本文を改簒した、と非難された。…しかし、「単一の」という言葉がなかったとしても、「一つの同じ(ヒュポスタシス)が行為者であるとわれわれが言う」時に、それは傑出した教父の権威を主張できたことを、その定式は証明するものであった。
…もし、両派が承認しなければならなかったように、「行為者は一人」すなわち、ヒュポスタシスであるとすれば、必然的に「行為は単一のものである」ということになると思われた。
p.123
言い換えれば、「主キリストにおいて、彼の人間性全体は永遠にロゴスの神性に結び付き、すべてのことにおいて、神によって指図され、動かされる」というセルギオスの定式文の中にあるように、更に専門的な用語では、「神に動かされるもの」(テオキネートス)であった。これが意味したことは、「キリストの霊魂は、その動きの中で、それ自体の決定によって行為したのではなく、すべてのことで、それを動かすロゴスに依存していた」ということであった。
…この単一の行為は神的なものであったのか、人間的なものであったのか、それとも、そのどちらでもなかったのか、という問いに対しては、それは二つの本性のどちらにも属さず、「統一の様態」に属している、というのが回答であった。…二つの本性のそれぞれに、独自な行為を帰した別な立場は、キリストの人間性の肉体に独自な行為と、その霊魂に独自な行為とを立てるのを余儀なくされ、背理法によって、受肉したキリストの中に三つの行為があったことを認めるようになってしまったであろう。
p.124
 困難な点は、「行為」の問題について、どちらの側にも容易に背理が成立しえたことであった。…「行為」という用語そのものが、行為の経過あるいはその結果を指していて、曖昧であった。もしそれが、後者を意味していれば、それは単一であることを誰もが認めねばならなかったが、経過あるいは「運動」は論争になっていた。曖昧さからの脱出法の一つは、その問題全体を土俵の外に閉め出すことであった。…従って、両方の定式は共に非合法なものとされねばならなかった。
p.125
こうして、論議は「単一の行為」から「行為の源泉、すなわち、意志」へと移動した。「一つの意志」(モノン・テレーマ)という用語から、この立場は単意論と呼ばれた。
…「単意論者のキリスト論全体にとって、最終的に致命的であるのを立証した」章句は、ルカ福音書二二・四二の「しかし、わたしの願い(意志)ではなく、御心(あなたの意志)のままに行ってください」と、ヨハネ福音書六・三八の「わたしが天から降ってきたのは、自分の意志を行うためではなく、私をお遣わしになった方の御心(意志)を行うためである」であった。…一つの意志という思想の擁護者として、教皇ホノリウスはそれらを「異なった意志ではなく、(キリストの)担われた人間性の経綸を」指すものとして、従って「われわれのために語られたもの」として、解釈した。しかし、マクシモスは二つの意志を擁護して、それらを「救い主は人間として、彼の人間的な本性に属す意志を持って」おり、そしてそれは、「彼の神的な意志と、父の意志への崇高な適合性」によって特徴づけられていた証拠と見た。
p.126
早期の教会会議はアレイオスとアポリナリオスを、一つの意志を教えたことで断罪した。…なぜなら、「もし、キリストにおける単一の複合的本性を告白し、二つの本性を否認する者たちが、依然として本性の間の違いを承認するのに、キリストにおける二つの本性を告白し、肯定するあなたが、彼における単一の意志を考案するとは、どういうことであるのか」と言われたからである。キリストにおける単一の意志をめぐる異端的な論議の中で目を引くのは、受肉以後の二つの本性だけでなく、二つのヒュポスタシスを教えたネストリオス主義者の中で、「意志の同一性」(タウトブーリア)という思想が顕著なことであった。…ネストリオス派の総主教ティモテオス一世は、ロゴスによって担われた人間のヒュポスタシスは、「その人間を着たロゴスと共に、単一の意志と行為を」持っていたと教えた。「一つの意志と、もう一つの別な意志」はありえなかった。なぜなら、「すべてが、言い表しえない統一の中で一つにされた」からである。しかし、ババイのキリスト論はこの点でも、転回点であったように思われる。なぜなら、彼は確かに、ロゴスにおける一つの意志と、ロゴスによって担われた人間におけるもう一つの意志について語っていたからである。「しかし、わたしの願い(意志)ではなく、御心(あなたの意志)のままに行ってください」は、一方では「三位一体の単一の意志がある。――父と聖霊と(ロゴス)と共にある一つの意志がある」ことを意味していたが、他方では、ロゴスによって担われた人間性は、ロゴスと三位一体の他のヒュポスタシスとの間で共有される意志とは独自な、一つの自由な意思を持たねばならない、ということを意味した。
p.127
この争点をめぐってカルケドン派の間で行われた論争の結果として、二つのヒュポスタシスと単一の意志という本来のネストリオス派の教理が、更に一貫性を持つ方向へと改訂されたと指摘するのは、まことしやかに思われるかもしれない。
 キリストにおける意志をめぐる論争では、両派は単性論の異端でも、ネストリオス派の異端とでもなく、教父たちの伝統と同一視されることを望んだので、彼らの主要な関心は、この伝統の中のこの問題の前史であった。二つの意志の擁護者はその論敵を、教父たちを文脈を無視して引用している、と非難した。しかし、その非難はどちらの方向にも当てはまるものであった。一つの意志の首唱者は、「すべての教師と、敬神の先駆け」の支持があると主張した。…「わたしの願い(意志)ではなく、御心(あなたの意志)のままに行ってください」という言葉のアタナシオスのものとされていた注解は、すでに単性論者たちによって引用されており、今や単意論の立場を支持するように思われたが、マクシモスは「神性における一つの意志と人間性における一つの意志の権威として、不死(アタナシア)に由来する名前を持つ者」は、当然自分の側にあると主張した。彼はアタナシオスやナジアンゾスのグレゴリオスのその他の言葉や、他の教父たちの言葉を収集して、自分の教理を正当化した。

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■ローマ教皇、イラクを初訪問 対話と中東和平訴える
(朝日新聞デジタル - 03月06日 17:03)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6436279

 約13億人の信者を抱えるローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇(84)が5日、訪問先のイラク・バグダッドに到着した。歴代ローマ教皇がイラクを訪問するのは初めて。


 ローマ教皇庁(バチカン)によると、教皇はバグダッドの大統領宮殿で開かれた歓迎式典で「戦いを止め、暴力や過激派思想を終わらせよう」と演説、対話による和解と中東地域の平和の実現を訴えた。6日には、中部ナジャフを訪れイラクでのイスラム教シーア派の最高権威、シスターニ師(90)と私的に面会した。ローマ教皇庁によると、教皇は45分間の面会の中で、宗教コミュニティー間の友好と協力の重要性について強調。シスターニ師に対し、「近年起きた暴力や大きな困難に直面し、最も弱く迫害された人々を守るため、声を上げてきた」と感謝の言葉を述べた。


 イラクではシーア派住民が多数を占めており、同師との対話を通じてイスラム世界との友好関係を深める狙いがあるとみられる。教皇は4日間の日程で、北部のクルド人自治区や、過激派組織「イスラム国」(IS)がかつて支配した地域などを歴訪する予定。(ローマ=河原田慎一)


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