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2021年03月04日22:36

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キリスト教の伝統―教理発展の歴史 (第2巻) J.ペリカン 教文館

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p.90
また、その本文は「彼は人間となった」と言われているのではなく、「彼は肉となった」と言われている、と指摘された。また「神の身分」と「僕の身分」との区別は、「三位一体のヒュポスタシスの一つ」と人間性の「ヒュポスタシスの一つ」というネストリオス派の区別に対応すると受け取られた。
 こうした章句から、ネストリオス派は内住のロゴスの神学を証明した。コロサイ書二・九は言い換えられて、「彼の中にロゴスなる神が完全に留まっている」ことを意味するようになった。ロゴスがその神殿および住居として担った人間は、神の恵みによって罪なき者とされた第二のアダムであった。十字架につけられたのは、この担われた人間であって、内住のロゴスではなかった。なぜなら、「もし、異端者たちが言うように、神が十字架につけられ、死んだとしたら、われわれのために何の益にもならなかったであろう。彼は自分の仲間の神々を贖うことができただけであろう」からであった。「彼はその神性と肉の両方において苦難を受けたのか、それとも、肉においてだけだったのか」という問いに対する回答は、彼は肉においてだけ苦難を受けたのか、それとも、肉においてだけだったのか」という問いに対する回答は、彼は肉においてだけ苦難を受けた、という回答以外にはありえなかった。…おそらく七世紀のものと思われる著者不明のシリア語の論文は、ネストリオス派のキリスト論に反対して、キリストが生まれた時、羊飼いに天使が伝えた使信が、「マリアから生まれた方は神であり、従って、マリアはテオトコスであることを証明している」と論じていた。ネストリオス派は、「処女が本性から女神であり、無限の霊であるのか、それとも、彼女は女であって、人間性の本性において人間を生んだのか、そのいずれかである」ことは明らかであるとし、この場合には後者であるから、彼女をテオトコスと呼ぶことはできないとした。…ネストリオスの総主教ティモテオス一世は、マリアという名前を「主」を意味するシリア語の「マル」に由来するものとしつつ、キリストは「主」と呼ばれるにふさわしい、なぜならその理由の一つとして、その母が彼よりも先にこの尊厳さを持っていたからである、とさえ語った。
p.91
アレクサンドリアのキュリロスは、依然として、そのヒュポスタシスの統一という見解のために、主たる攻撃目標であったが、第二回コンスタンティノポリス公会議以後の新しい悪者は、「この専制的な皇帝、ユスティニアヌス」であった。…三聖唱が拡張されて「われらのために十字架にかけられた聖なる神、聖にして強き方、聖にして不死なる方」と読まれることは、依然として「冒瀆」と非難された。この定式の信奉者たちを示す通常の用語は「神性受苦論者」で、それは、神が苦難を受けたと語る者という意味であった。論争のやり取りの中で、ネストリオス派の立場にとっては、キリストの人間性についてのより早期の(異端的な)諸見解と、それとを同一視しようとして行われた結合からの嫌疑を退ける必要があった。…またそれは、神の子となるために「養子とされた」人間を意味するわけでもなかった。なぜなら、それは、神の二人の子、一人は養子とされた人間、もう一人は三位一体の第二のヒュポスタシス、があることを意味してしまうからであった。
p.92
この変化を成し遂げさせたのは、大部分、「ネストリオス派教義学の創始者」大ババイの著作であった。…ペルシャ教会によるネストリオス主義の公式の受容はすでに、セレウキアでの教会会議、すなわち「マル・アカキオスの教会会議」が、その信仰を「神性と人間性との二つの本性の告白において、キリストの受肉に属すものと」宣言した時、四八六年に行われていた。この二つの本性は、「混合や混同」なしに存在した。なぜなら、それぞれが固有の特質を保持していたからである。それらの本性は、その威厳の中で、また(そこにおいて「完全な神」と「完全な人間」が解消しえない統一において、しかし、本性の損なわれない完全さをもって、存在していた)「われらの主の位格(シリア語ではパルソーパー)の一致」に向けられた礼拝の中で、結び付いていた。
p.93
このことは、教会をある種の内住のロゴスの神学の立場に立たせた。七世紀の初めにババイがこの神学にもたらし、後の世紀に残したのは、こうした強調点を一つの統合された自己完結性のある視点へと体系化したことであった。「『御子の二つの本性、二つのヒュポスタシス、一つの位格』という定式を導入したのはババイであった」。
…カルケドン派の中や単性論派の中にも、三一論教理の真珠を見いだすことができたが、その真珠は彼らのキリスト論によって傷が付いていた。しかし実際には、ニカイアの三一論的立場の概念や、またその用語も、ネストリオス派のキリスト論の中では支配的な位置――その神論はニカイアで定義されていたがそのキリスト論はエフェソとカルケドンで定義された者たちが持っていなかった支配的な位置――が与えられたのである。ヨハネ福音書一・一四は、ロゴスが肉となったと語っていたが、肉「となる」は文字通りに解釈されることはできなかった。なぜなら、仮にそうだとすれば、それは三一論の教理を傷つけるだろうからであった。キリストにおける神的なものは三位一体の一つのヒュポスタシスであって、三位一体の全体ではないというニカイアの教理は、必然的に、キリストの位格には一つの神的なヒュポスタシスと一つの人間的なヒュポスタシスがある、ということを意味した。「ヒュポスタシス」「本性」「位格」などといった用語は、三一論の教理の中で使われたのと同一の方法でキリスト論でも使われねばならなかったのである。
p.94
 困難が生じた理由の一つは、カルケドンの教令の中でキリストの二つの本性は、「一つの位格とヒュポスタシスの中に」(エイス・ヘン・プロソーポン・カイ・ミアン・ヒュポスタシン)結合している、と言われていたため、正統的な用法では、ヒュポスタシスと位格とが実際上は同義語であったことである。…ネストリオス派神学も、ヒュポスタシス(シリア語ではケノマ)と位格(シリア語ではパルソーパー)とを区別するという同様な必要性に基づいていた。…五世紀のほぼ全体を生きたナルサイのものとされている説教は、「われわれは、神の御子、一人の主イエス・キリストを信じる。主は一つの位格で、本性とそのヒュポスタシスは二重である」と語っていたが、しかしまさにこの理由から、それが彼の説教であったことは疑わしい。六一二年のネストリオス派と単性論派の主教たちの会議で、前者が「キリストは『一人』であるが、それは本性やヒュポスタシスの統一によって、ということではなく、御子としてのその位格の単独性によって、、ということである」と主張したことは明らかである。彼らがその正統性を肯定した教父たちが、「二つの本性から成る一つのヒュポスタシス」という言い方をしていたことを、彼らは承認しなければならなかったが、このことも、ヒュポスタシス」というと位格との同一視を意味しているのではない、と彼らは主張した。シリア語は、ギリシャ語やアラビア語よりも多くの語を持ち、複雑な言語だったので、いっそう正確な区別を行うことができたのである。
p.95
なぜなら、ヒュポスタシスは「単独の実体で、それ自体の独自な存在において存在し、その数は一つである。――それは、他のヒュポスタシスからは、それがその位格において保持する特別な特質によって区別される」と定義されねばならなかったからである。従って、個々のヒュポスタシスの位格は、「それを他のヒュポスタシスであることから守り、(そして)それがどのヒュポスタシスであるかを決めるもの」であった。…三位一体においては、生まれないのは父と呼ばれるヒュポスタシスの位格であり、生まれるのは、子と呼ばれるヒュポスタシスの位格であった。三一論教理は、どのヒュポスタシスもその本性を捨てて、別なヒュポスタシスと同質になることはできない、ということを意味していた。「ヒュポスタシスはそれ自体の存在において存在しているので、別なヒュポスタシスによって担われたり、付け加えられたりして、それと一つのヒュポスタシスになることはできない。――しかし位格は担われることができるし、それでいて、それ自体のヒュポスタシスのうちに留まることができる」。従って、二つの本性を持った一つのヒュポスタシスは考えることができなかった。同じ理由から、イエス・キリストの一つの位格は二つのヒュポスタシスを持つことができたが、しかし、彼は二つの位格あるいは本性のどちらかを持った一つのヒュポスタシスである、と語るのは馬鹿げていた。「なぜ、位格は授けられ、担われるのに、ヒュポスタシスは授けられも担われもしないのか」という問いに対する回答は、「ヒュポスタシスは固定されていて、――その本性のすべての特質を保持している」が、他方「位格は、固定されてはいるが、担われることができる」という回答だった。…そこで、キリストはその位格において二つの本性を持たねばならなかったように、二つのヒュポスタシスを持たねばならなかったのである。なぜなら、もしキリストが一つのヒュポスタシスしか持たなかったとしたら、そのヒュポスタシスに生じたすべてのこと――例えば、生まれたり、死んだりしたこと――は彼の神的な本性に起こらねばならず、従って、神性全体に起こらねばならなかったからである。
p.96
用語法と抽象概念は、福音の中心的な主張についての独自な解釈を示す手段であった。ネストリオス派の救済論の思想と用語の中には、その論敵が言っていたこととそれほど大きく違わない響きをするものが多くあった。…しかし、執り成しの理解には、感知されえる強調点の違いがあったように思われる。おそらくは、カルケドンの正統主義において以上に、キリストはここでは、教師、模範として考えられていた。
p.97
人間の救いを人間の神化とする定義は、東方神学の標準的な要素であった。ネストリオス派神学者たちも、それを用いざるをえなかったのである。しかし、彼らはただちに、ここでもその二重性を守るような仕方で用語を定義した。アタナシオスは「彼の肉体とわれわれの関係のゆえに、われわれは神の宮になったのである」と語っていたが、このようにそれは、ネストリオス派の思想に近い主題を響かせていた。しかし彼は、更に進んで次の文章では、「このように、われわれの中でも、今や主は礼拝されているのである」と語っていた。対照的に総主教のティモテオスは、聖霊が信じる者を「主の肉体に似たものに」変えると断言したが、ただちに続けて、このことは「われわれがその本性によって神の子になるとか、(われわれの主)と同じように、すべての人から我々が礼拝される」ことを意味するのではない、と警告した。同様にババイも、「われわれは、彼と同じように神の子であり、ロゴスなる神とのわれわれの一致を通して、われわれも礼拝されるべきである」といういかなる示唆も「神が禁じたもう。それは悪であり、冒瀆である」と拒否した。神化の思想は、東方の神秘主義の中で高められていた。しかし、ネストリオス派の神秘思想では、「贖い主の受難と死が導入されたが、しかし、それはどちらかと言えば、キリストと共に霊的に死ぬ神秘的な死という意味であった」。従って、神秘主義的な論文の中でも、信じる者におけると同時に、キリストにおける「無限なものと有限なもの、完全なものと不完全なものとの統一」への強調は、それらの二重性を強く押し出していた。ネストリオス派の神秘神学と、カルケドン正統主義の神秘神学とのこの違いとして考えられる源泉は、後者がディオニュシオス・ホ・アレオパギテースに依拠したのに対して、前者がエウアグリオス・ポンティコスに依拠したことである。
p.98
ディオニュシオスはシリア語に翻訳されていたし、また、ネストリオス主義者たちは様々な翻訳の間の違いを知っていた。しかし、時おり、この「パウロの弟子」への言及があることを別にすると、彼はネストリオス派の神秘主義文献の中では目立ってはいない。エウアグリオスが、神の絶対性と不受苦性(無感動性)を損なわない、神と神秘家との統一を理解する方法を備えたのである。
…その並行関係を要約しつつ、ネストリオス派の典礼を注解したある人物は、「これらの秘義は、キリストの体と血の秘義ではなく、厳密な意味でキリストの体と血である、と語った」人々を批判した。聖餐とキリストの位格の両者は、二つの異なった本性の統一であるが、その本性は統一の後でも独自なものであり続けた。本性的な天の体との間には二重性がなければならなかった。なぜなら、もしそうでないとすれば、「彼が天からやって来られた目的は何であるのか」ということになったからである。…要約して言えば、「ネストリオス派の解釈によれば、永遠のロゴスとの統一によってキリストは、神が現実に人間になったわけではないのに、神の子と呼ばれ、ある意味では現実にそうであったように、聖餐のパンは、天にあるキリストの真の体との統一によって、真実の意味でキリストの体である」ということだったのである。
p.99
しかし、このことは、その論敵たちが非難したように、ネストリオス派の立場は、一人は神的、他方は人間的な、神の子の二重性の受容を必要としていたという意味ではなかった。そうではなく逆に、「本性によってはロゴスのヒュポスタシスにおいて存在し、統一によっては人間性のヒュポスタシスにおいて存在する、二つのヒュポスタシスにおける一人の主、一人の御子」がいたのである。しかし、こうした確言にもかかわらず、その統一は主として、ヒュポスタシスの二重性と彼に向けられた礼拝の二重性の中で、神・人の位格によって遂行された機能の統一であったのか、それともそれ以上のものであったのかは、明確ではなかった。「それ以上」は、属性の交流という伝統的な思想の中にあった。
p.100
ババイがこのような交流(伝達)について語る段になると、それはほとんど常に「名称」に基づいたもの、あるいは「聖書が語る」仕方に基づいたもの、あるいは「一つの本性の行動を聖書が他に帰していること」に基づいたもの、であった。このことは、ババイが、キリストの肉と人間性は彼の論敵の理論の中にあるものだと非難したように、このような統一の定義では、属性の交流はどのような意味であれ、現実のものなのか、あるいは、単に言葉の上だけのものか、という問いを引き起こす。統一は全く明瞭に、「処女の胎の中で、十字架上で、死において、また埋葬において、分離できないもの」であった。ババイは更に、統一の事実は論争の余地のないものであるが、「どのようにして」それが起こったかは知られていないという見解を取った。しかし、「この終わりの時代には、御子によって、(神は)わたしたちに語られました」というような聖書の言葉も、「具体的には統一を」指していたが、「一般的には、ウシアとヒュポスタシスの二重性」を指していた。このこともまた、彼らがヒュポスタシスの二重性を受け入れたのはそれを望んだからであるが、位格の統一については、それを受け入れざるを得なかった、ということを示唆している。
 われわれがこれまで引用してきた資料のほとんどが書かれてから何世紀もたって、ニシビスの府主教アブディシャ(エベド・イエス)は――彼の死は一三一八年である――『真珠の書』という書物を書いたが、それは「ネストリオス派神学についての彼の最も価値ある論文であり、この分派の公式の見解を成すものである」。この中では、こうした主題が体系的に定式化されていた。カルケドンは「二つの本性とこれら両方の特質の区別の告白を確認した」と解釈されている。もっとも、ギリシャ語の貧困さと、ヒュポスタシスと位格とを区別することができなかったことから、その会議はキリストにおける一つのヒュポスタシスを肯定するようになってしまっていた。
p.101
三位一体は「偶然的な諸力ではなく、ヒュポスタシス」から成っていた。なぜなら、ヒュポスタシスの内部では、変化とか統一とかはありえなかったからである。従って、「ロゴスは肉となった」という聖書の言明は、肉は以前にはそうでなかったものに「なった」が、他方、ロゴスは肉体に「留まった」、という意味で理解されるべきものであった。テオトコスの問題に象徴されるこの争点をめぐる対立は、東方キリスト教世界を三つのグループに分断した。一つのヒュポスタシスと一つの本性を教えた単性論派、一つのヒュポスタシスと二つの本性を教えたメルキト派(カルケドン派)、キリストの一つの位格におけるヒュポスタシスと本性の二重性を教えた「いわゆるネストリオス派」である。筋書の多くは、特に東方では、すべてのキリスト者が共有した共通の土俵の拡張であったが、キリストの位格の教理によって、キリストのヒュポスタシスの分離と教会の分離とが共に、公式に確定されたのである。
…この教理を基礎づけた教父の一人、アンティオキアのセウェロスは、その神学的な先輩の一人アレクサンドリアのキュリロスの権威を挙げて、修辞的な問いの中で次のように語った。
p.102
「(教会の)博士(すなわちキュリロス)が、それらはもはや二つではないと叫んだのに、なぜ、われわれは、『二つの(本性)』と語るのを強要されようとしているのか」。
…この名称が付けられたのは、その名が由来すると考えられているヤコブ・バラダイオスのためである。…
 しかし、ヤコブ派共同体にその敬虔と学識を刻み付けたのは、三番目のヤコブ、すなわちエデッサのヤコブ(ヤコブス)であった。
p.105
その期限設定の理由は勿論、カルケドンが「エウテュケスの狂気という口実に乗じて、教会の中にネストリオス派の人間礼拝を持ち込んだ」からであった。カルケドンの定式も、その基になったレオの『トムス』も、その教理は完全にネストリオス派敵であった。キリストについての彼自身の用語の中には、「混同なしに」とか「独自の」といったカルケドンの反響が含まれていたが、セウェロスは「ロゴスなる神の一つの本性は受肉したと言うことと、インマヌエルは二つの本性において分かち難く結び付けられている、と告白することとの間には、全く何の違いもないと聖キュリロスが語った」という主張を受け入れるのを拒んだ。
p.106
例えば、正統的な教父たちはキリストの人間性について「担われた人間」という言い方ができたが、それは、この用語のネストリオス派的用法がまだ広まっておらず、正統的な用法で理解されえたからである。同様に、アタナシオスはキリストの人間性を「主なる人間」と呼ぶことができたが、それは、最終的には疑わしい用語となった。
p.108
 ヤコブ派の立場にいとっては、経綸と神学との区別は基本的なものであった。…セウェロスはその区別を、三位一体において聖霊と一つである受肉したロゴスが、それにもかかわらず、その誕生の時に聖霊を受けることがどうしてできたのかを説明するのに使った。…その「受肉以前」と「受肉以後」とは神学と経綸とに対応した。しかし、ポワティエのヒラリウスのような神学者たちによって明確にされていたこの「時」の区別は、「それらは受肉したロゴスを二つの本性に分離する」という意味に受け取られてはならなかった。同様に、(神学に属している用語である)「ホモウシオス」を(経綸に属している用語である)「イエス・キリスト」に付けたニカイア公会議も、神学と経綸とを混同したのではなく、受肉したロゴスの一致を告白したものであった。単性論の伝統とそれ以外の伝統――それらすべては、ニカイア公会議を受け入れていた――との間の争点は、「神学にではなく、経綸に」あったことは明らかであった。
…エデッサのヤコブの信仰告白文は、そのキリスト論的主張を「創造者なるロゴスはすべての点で、自分を生んだ父と同質(である)」という宣言で始めた。典礼の注解の中で、彼は、三位一体と同様に、神格の一致を「分離されることなく区別され、混同されることなく結び付いている」と主張した。
p.109
なぜなら、ヤコブ派が教えた形でのヒュポスタシスの統一は、「父と子に属す統一よりも、いっそう真実なヒュポスタシスの統一」を表したからである。…このような発言は、非友好的な批判者からは、神の単一性はキリストにおける神的なものと人間的なものとの単一性と比べて、真に一つではないことを意味する、と解釈されたが、教会の外側の非信仰者だけでなく、他のキリスト者にとっても、「三神的」な響きがした。ヤコブ派に属す者たち自身の中にそれを認める者があったように、モドゥス的モナルキア主義を避けるという名目のまとに、その神学者たちが「神の複数性とウシアの複数性」に陥る危険は確かにあったのである。
 明らかに、イエス・キリストのヒュポスタシスの一致は、ほとんどどのような犠牲を払ってでも、おそらくは、三位一体におけるヒュポスタシスの一致を危うくするという犠牲を払ってさえ、保たれねばならなかったのである。三一論教理がそのキリスト論教理を支配したネストリオス主義者に対しては、次のように語った者がいた「『ホモウシオス』という用語のゆえに、あなたがたは、われわれの生命を救うために遂行された経綸に対して不正を行っている。なぜなら、あなたがたは常に次のような過ちを犯しているからである。

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■米がシリアに空爆 新政権で初、親イラン組織の関連施設
(朝日新聞デジタル - 02月26日 11:19)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6426226

 米国防総省は25日夜、米軍がシリア東部の親イランの武装組織の関連施設を空爆したと発表した。2月中旬、イラクの米軍駐留施設付近であったロケット砲攻撃への対抗措置。バイデン政権下で親イランの武装組織に対する軍事作戦は初めてとなる。AFP通信は、反体制派の在英NGO「シリア人権監視団」の話として、戦闘員ら17人が死亡したと伝えた。


 米国防総省は声明で、「バイデン大統領の指示で、米軍は今夜、シリア東部でイランの支援を受ける武装組織が使う施設への空爆をおこなった」と説明。「作戦は、大統領は米国人と有志連合の要員を守るという明確なメッセージを送っている」とした。


 イラク北部のクルド人自治区アルビルで15日、国際空港や隣接する米軍駐留施設の付近に複数のロケット砲攻撃があり、少なくとも駐留米軍の請負業者1人が死亡し、米兵1人を含む9人が負傷した。親イランの武装組織が米関連施設や米大使館などを狙った攻撃を繰り返し、トランプ政権下で米軍は報復空爆を実施していた。


 イラクには規模を縮小しながらも米兵約2500人が駐留している。バイデン政権に移行後、大規模な攻撃は初めてとみられていた。(ワシントン=渡辺丘)


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