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2021年03月01日05:47

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レ・アル

パリで仕事をしていた時に住んでたのがレ・アルのすぐそばだった。17世紀の建物で階段が一段づつ幅も高さも違いってた。酔って帰って来ると踏み外す事があった(アブナいアブナい)。僕の下の階に住んでるおばさん(おばぁさん、と言った方が正しいかもしれないが)は、すぐ近くのサンドニ通りで街娼をしていた。レ・アルが市場だった頃からというから歳も知れようというものだが、、彼女は昼間客を取って夜は普通に静かな暮らしをしていたようなので、めったに仕事をしているところを目撃しなかったけど、初めの頃、通りに立ってる彼女に挨拶したら、あとで「私を街でみつけても挨拶しちゃダメよ」と言われた。通行人が僕を馴染み客と見るだろうということなんだね。なんか物悲しい気分ではあったが、判った、ここで会ったときだけ挨拶する、と言っておいた。気をつけて見れば、サンドニ通りには街娼が沢山立っていたが、ちょっと見には判らないような普通の服装の女性が大半だった(中にははっきりそれと判る服を着てる人もいたけど、、)。これはレ・アルが市場だった時代の名残りなんだが、今はどうなんだろう、もう25年も前の話だ。あのおば(ぁ)さんも既に亡くなっているだろうな。サンドニ通りも北の方へ行くと少々寂れた雰囲気になっていき、インドの繊維卸業者の店が増えていった。大体北駅・東駅の南側はそういった安い繊維問屋街になっていた。移り変わりが激しいパリの事だから、これもまた今では違っているかも。当時のレ・アル自体は好きになれないというかつまらない殺風景な場所という感じで、観光客以外にはほとんど意味の無い場所、と思っていた。毎日レ・アルの地下駅からぎゅう詰めの国電に乗って通勤してたので更に印象が悪いのかもしれないが。この辺で飯を食う事もまずなかった、観光客相手の店ばかりだから。昔の市場の雰囲気は北側のモントルグイユ通りに一番良く残っていた。この通りでは食料品の買物もしたし、カフェにも入ったし、エスカルゴ料理屋とかにも行った。当時はまだ庶民的な通りだったが、最近は大分シックになってしまったようだ。ドアノの写真集を見ながら、そんな事を思い出した。
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