今日はラズリの散歩以外は引きこもって活動はしない……。
と思っていたのだが、図書館から借りている2冊の本の返却日を確認したら、1冊は期限を過ぎていた。その一冊藤原新也の『日々の一滴』は借りた日の翌日、読了していて、あまりにあっさり読んでしまったものだから返却日のプレッシャーから解放されてしまい、逆に忘れてしまったのだった。
午後2時半、ハガキを書き終わったので、本2冊をリュックに入れたのち、自転車で郵便局→銀行→図書館へ。2冊のうち藤原新也本は返却、もう一冊の分厚い証言集は延長手続きをとった。で、せっかく来たんだから、という浅ましい考えから、かつて図書館から借りて読んで感銘したノンフィクションをまた借り出すことにした。二読したい本なら買えよ、とは思う。
で、雑誌コーナーにちょっと行ってみると、「本の雑誌」12月号が入っていた。45周年450号で、いつもよりページ増量、分厚い。これは買うかな。
帰り際、入口脇にある「リサイクル本」が並んでるテーブルをちょっと見てみたら、岩波新書『在日朝鮮人』(水野直樹、文京洙著)があった。そんなアホな、と信じられない。昨日の会合で、あるメンバーと「朝鮮人が日本に来るようになったのは韓国併合以降だったっけ、それとももっと前だっけ?」という会話を交わしたことや、私が会場で無料配布する資料集に載せる「年表」を書くことになったことから、まずは手持ちの岩波新書に加えて関連する他の岩波新書も買おうと思っていた矢先だったのだ。
ライバルがいるわけでもないのにひったくるように『在日朝鮮人』を引っぱり出し、最初の見開きを読んでみたら、まさに知りたいことが書かれていた。
こういう偶然はホントありがたい。俄然、やる気が湧いて来た。
ネットってホント便利だ、と午前中、思った。
昨日の会合で、どうしても名前が思い出せない牧師を探したら、あっさりわかった。
マルティン・ニーメラ。1930年代からナチズムに抵抗した神学者で、日本でちょっと有名になったのはかの丸山真男がニーメラの警句を紹介したからだ。
ナチが共産主義者を襲つたとき、自分はやや不安になつた。
けれども結局自分は共産主義者でなかつたので何もしなかつた。
それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。
けれども自分は依然として社会主義者ではなかつた。そこでやはり何もしなかつた。
それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、
そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかつた。
さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であつた。
そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであつた。
日本がこの先海外へ派兵することはないだろうし、戦前のような言論弾圧もないかもしれない。が、21世紀版のナチズム、それは国民の大半が納得して受け容れる人権の後退、経済力の後退、自由の後退が日々、進行し、取り返しがつかない状態に陥ったところであとの祭りとなる潮流に日本は現在、あると思っている。これは個人的な危惧ではない。いちばん分かりやすい賃金や生活水準で、21世紀に入って以降、先進各国からどんどんと遅れを取り始めている。が、国民は日本のいいところだけを見て、臭いものに蓋をするがのごとく、一定の愛国心を保ち続けているように思う。
物心ついて以降、学校でも社会でも窮屈さは感じなかった。が、いまになって、マルクスが言うところの自己疎外を覚え始めた。本来疎外なんて20歳前後に感じるものだろう。
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