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2020年08月29日10:56

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人の心を見つめ続けるって






「でもね、人の心だけは見つめようと思う。
好きなやつも嫌いなやつも今会えてるのって奇跡だから」


怠い怠い怠い土曜の朝、
或る画面のコメントで見かけたこの言葉が、妙に沁みた。

不意に妙に・・・沁みた。

感情がざわつく感じがあった。
他者の色々な感情・・・怒りや悔しさや無念、好きとか嫌いとか、
楽しいんだナとか辛いんだナとか、
そういうのを日々、我が身に浴びている内に、
自分の感情というものが、黙り込んでいた気がした。

「人の心を見つめ続ける」と言う人程、
実は人の心が見えていないというパターンもある。
私自身もまた、そのパターンに陥る事があっても、
必要上含めて、どうにか見つめようとはしているのだナ・・・・・・
と、自分の心を見つめてみる。

少なくとも、
得体の知れぬ相手の心を想像せずに話す事は、
また想像出来ない場合も、相手の心の存在を無視して話す事は、
あまり好む方ではない。
やってしまう事もあるが。

「人の心を見つめ続ける」とは、
或る意味、孤独の道だと思う。
関わり合いながらも「見つめる」のだから。

若い頃、「つめたやさしいよね」と言われた事がある。
もともと、そういう面はあるのかも知れない。

「見つめる」為に、自分色のサングラスは外す。
出来るだけ透明の容器になって、
そこに流れ込んで来る他者の感情の液体を「見つめる」。

でも、自分色のサングラスを外してばかりだと、
いつしか自分の感情は、黙り込みがちになる。
うっかりすると、こっそり自分自身で見つめてやる事も忘れる。
自分の感情は底をついたみたいな感覚になる。

そういや何か、「ZENタイルsolo」とかっていう、
ソロプレイ用のアナログゲームが、あるらしい。
一日の時間を表す物差しに沿って、
漢字一文字で感情を表したタイルを選んで配置して行き、
今日一日の自分の感情の流れを振り返るという勝敗無きゲーム。
「自分の心を見つめる」には良きツールかも・・・・・・
って、これは広告ブログなんか〜い。


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「でもね、人の心だけは見つめようと思う。
好きなやつも嫌いなやつも今会えてるのって奇跡だから」

この「好きなやつも嫌いなやつも今会えてるのって奇跡だから」って感覚こそ、
「見つめる」という構えであり、孤独の道の気がするのである。
独り占めしようとしたり甘えようとしたり、群れようとしたり、
その為には邪魔しようとしたりする、
そういう「親しさ成分」は捨てる道である。
「親しき仲にも礼儀あり」よりも、もっとである。
人によっては、多分それなりにエネルギーを要する構えでもある。

でも、そうした孤独の感覚を肩に提げて歩いてこそ、
「今会えてる奇跡」も感じられるのであろう。
孤独を避けたくなると、
「嫌いなやつ」は「憎いやつ」に転じてしまうかも知れない。
「嫌いなやつ」だって、何かくれたりするのに。

孤独を紛らわす事は出来ても、
人一人一人が本来孤独な存在であるとするならば、
その孤独な心を「見つめる」事は、
「好きなやつも嫌いなやつも今会えてるのって奇跡だから」という感覚は、
人の孤独というものを受容した上での、
現実的な距離感をとった一体感の状態(?)、でもあるのかも知れない。

人は「見つめる」だけでなく、「見つめ合う」事も出来る。




















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