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2020年08月19日10:10

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人生意気に感ず「酷暑とコロナの連合軍が。満州の悲劇、松井かずは必死で生きた」

◇コロナの嵐と酷暑が連合軍を形成して猛威をふるっている感がある。「コロナウイルスは高温に弱い」という説は誤りだったのか。それともしたたかなウイルスが変異を遂げた結果なのか。うだるような暑さである。11日に伊勢崎、桐生で記録した40.5度は全国一位で、以来連日猛暑が続く。アメリカ・カルフォルニア州のデスバレーでは16日、史上最高に近い54.4度を観測した。温暖化・異常気象に人間が耐えられる限界に来ていると思われる。
 全世界でコロナが再び拡大の動きを示している。コロナによる国内の死者が8月に入って急増している。重症者も増えている。陽性者が増え、そこから重症者が広がり、重症者の中から死者が出るという順序なのだろう。“それ夏本番だ!”というので主に若い人が海や山へ繰り出している。そこでは「三密」は維持しがたい。若い人から高齢者に必然的にコロナは広がり抵抗力のない高齢者は斃れていく。この連鎖が当分続くのではないか。
◇この8月にブログで、ニューギニア・シベリア等の悲劇を紹介したが、もう一つ書かねばと思うのは満州の地獄である。「炎の山河」の中で取り上げた松井かずさんのことだ。前橋在住だったかずさんは敗色濃い昭和20年5月勤労奉仕隊に参加して満州に渡った。北満の果ての奉国農場の夏は短かった。あるとき敗戦のニュースが伝わり日本人の悲劇が始まる。馬賊が襲い、ソ連の侵入が始まった。逃避行でかずさんは人間の極限の姿を見る。置き去りにされる幼児や老人、ソ連兵に犯され気が触れた少女、暴民は女の下着の最後の一枚まで剥ぎ取った。ある娘は身体中のシラミを取ろうとしなかった。ソ連兵は汚い女を嫌がるという噂を信じたためだ。ソ連兵に連れ去られた女たちは二度と帰らなかった。かずさんはソ連国境からハルビンを経て撫順の炭坑にたどり着く。その間の列車は寿司詰め状態でトイレはなく、隅一箇のバケツのみ。家畜の貨車の臭いは耐えがたかった。かずさんは炭坑で病を煩い生死の境をさまよう。同じように寝ていた女性が姿を消す。どこかへ売られたのだ。そういう状態でかずさんは一人の中国人坑夫と結婚する。文字も書けない男だったが正直者で家族を守った。かずさんはこの男との間に生まれた5人の子どもを立派に育てた。初めて見る新しい東京は夢のようで信じられなかった。敗戦で廃墟と化したと教えられていたからだ。一家は前橋市の広瀬団地に落ち着いた。かずさんは日本人女性として、また母として生涯を貫いて世を去った。(読者に感謝)

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