mixiユーザー(id:6486105)

2019年10月18日21:10

92 view

東須磨小学校のいじめで腹が立つこと

 小田嶋隆のTwitterを読んで笑えた。

「高橋洋一氏は、同じ高校の一年先輩だったりする。校内ですれ違っていたこともあっただろうに、どうして足をひっかけるくらいなことをしておかなかったのか。それが悔やまれる」

 高橋は安倍のお友だちウヨ仲間だ。
 このツイートに「元官僚とコラムニストじゃえらく差が付きましたね。」というウヨクと思われるひとのコメントが付いたら、こんなつぶやきで小田嶋は切り返していた。

「ええ、その点はちょっと気の毒に思っています」

 日頃、私は頭の良さを鼻に掛けたような小田嶋隆に対して、ある種のうざったるさとその逆の尊敬を同時に抱いているのだが、「どうして足をひっかけるくらいなことをしておかなかったのか」という反骨精神に共感した。
 かれこれ2週間、神戸の東須磨小学校で教員いじめが問題になっている。長きに亘っていじめを働いた4人の教員をあらゆるひとが非難しているが、この4人といじめられた側の1人以外の教員に対してまったく言及がないことに、私は小田嶋隆と同様の冷笑を禁じ得ない。一度や二度なら教員による教員いじめを知らなくても不思議ではないが、これほど繰り返しのいじめならば同僚ならみんな知っているはずだろう。見て見ぬふりをする、というのは我が国の伝統なのかもしれないが、学校を休職するまでに追い込んだのはこの小学校に勤務する卑怯者全員の事なかれ主義だ。
「相手が嫌がるような真似をするな」という当たり前の注意ひとつができないのか?
 いじめの加担者とも言える校長が怖いのか?
 4人のいじめが自分に振り向けられるのが怖いのか?
 私は少なくとも中学生の頃から空気を読まないことが大切だと思ってきた人間なので、こういういじめや差別に対して平気でいられる人を心底、軽蔑している。
 4人の罪が10だとしたら、いじめに加担しないものの黙認していたひとたちの罪はそれぞれ1はある。
 このたびは教師間のいじめだったが、学校カーストという言葉があるくらい、学校にいじめがあると聞く。これも生徒一人ひとりに一種の罪があると私は思う。いじめをしている連中には「相手が嫌がることをするな」とみんなが言うべきであろう。
 中学以降、私は落ちこぼれ組のやつらと遊ぶことが多かった。頭のいいグループは勉強ばっかりしていて遊んでくれないからだ。勉強はできるかもしれないが、蛸の捕り方だとか洞窟探検の仕方とかはまったく知らず、若さと面白味に欠けているのである。で、勉強ができないやつはたまにクラスの男女からいじられることもあるのだが、私はそれこそ「足をひっかけ」るような真似をして、いささか乱暴者であった。
 一応断っておくと、私みたいな者でも村八分にはならない。それは学校でも社会に出てからも同じで、空気なんて読まなくてもなんとかなるもんなのである。
 いじめられているのを見て見ぬふりをする、というのはそれだけで犯罪だ!

 今日もと言ったほうがいいのだが、韓国をディするヤフーコメントに一本、反論コメントを書いた。馬鹿を相手にするのは文字通りバカバカしいのだが、差別=いじめを見たらなんとしてでもやっつけてやろうと思ってしまう。
 クソにはクソとはっきり言いたい。
5 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年10月>
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031