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2019年10月06日21:19

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すこしだけやさしく



 
 ♪すこしだけやさしくしてあげる
   もしも心に怪我をしたなら
  淋しさって繃帯で縛ってあげる
  すこしだけやさしくしてあげる

 心が乾燥肌になってしまったら大瀧詠一を聴こう。
 私の場合、大瀧詠一はいつだって無理なく聴ける。
 この曲は本来、大瀧が薬師丸ひろ子に提供した歌であるが(https://www.youtube.com/watch?v=GG1mYX9YVW0)、ご本人のボーカルはどこかすっとぼけた味が折り畳まれていて、心地いい。
 今日、原付バイクで1キロちょっと離れたガソリンスタンドへ灯油を買いに行った。一昨日の冬物洗いといい、灯油といい、少しずつ冬支度。
 GSに行く途中に大手のドラッグストアがある。当初の目的が灯油だったので、リュックも買い物用トートバッグも持たないまま家を出たのだが、安売りの牛乳と切れかかっているコーヒー用クリームが欲しくて、ドラッグストアに寄った。
 結局、これ以外にも買ったので、レジ袋をもらい、メットインボックスに入れたのだが、なんとなく気持の落ち着きが悪い。
 先週、夕刊に「レジ袋有料化、業界は歓迎 コンビニ客に理解得られるか」という記事が載っていて、すでに世界40カ国でプレ製レジ袋の配布が禁止されているという。日本でも来年4月から有料化になり、レジ袋の減少に繋がるものと考えられているが、かくいう自分も今日みたいに時たまもらってしまう。
https://digital.asahi.com/articles/ASM9V55QJM9VULBJ00L.html?rm=559
 地球温暖化やプラスチック汚染の問題は、環境問題に関する政府の取り組みと個々人の良識という2つの輪が揃って初めて前進する。政府と国民が共に良識が欠けている場合は、どうしようもありませんな。原発(関西電力)のいざこざを見ていてもそう思いました。
 ゆえあって、というか頭のトレーニングで、戦前の文章を読んでいる。
 今日は本棚の奥から「復刻版 昭和大雑誌 戦中篇」を久しぶりに引っぱり出して、興味のある記事を読んでいた。
「戦中篇」は昭和12年から20年までの雑誌に載っている記事や投稿が旧字旧かなのまま掲載されている。いずれの記事もせいぜい長文でも1万字くらいだから、読みやすい。
 雑誌というのは時代性が如実に反映している。
 巻頭に収められているのは哲学者・三木清の「青年知識層に与ふ〜愛国心と民族的使命に就いて」という比較的長いエッセイだ。
「愛国心はモラルの基礎でなければならない」とか「日本民族の使命は東亜協同体だ」といった、今から見れば噴飯物の言説がずらずらと並んでいて、いかにもな若者向けの説教なのだが、笑ってしまうのはこれほどに三木が時節を意識したにもかかわらず、終戦の年に治安維持法でパクられ、獄中で死んでしまうことだ。
 三木清だけが滑稽なのではない。ここに収められている記事や対談を読んでいると、終戦後に民主主義を賛辞する文化人とか、重層な知識を披瀝して我々お馬鹿には近づきがたい小林秀雄先生とかが、大政翼賛な保守論をとうとうと述べられていたりするのだ。
 A級戦犯の東条英機や陸軍参謀長のような軍人も、時局は日本有利で進んでいる→一億国民一丸となって戦おう、というような寄稿も数多くあって、さらには婦人会とか一般人がいまのネトウヨみたいに政府の姿勢を礼賛している。
 読んでいて唯一、光が射し込んでいたのは金子光晴ただ一人であった。昭和17年4月の詩が転載されているのだが、「痴呆になりたる民族を救ひたまへ」「荒廃したその頭に今一度。詩と夢を与へたまへ」というような字句をさらっと詩の中に紛れ込ませて悪ふざけを試みてる。
 武者小路実篤も土井晩翠も高村光太郎も、戦前は政府と皇国民におべんちゃらをしているのかマジで愛国者になっていたのかわからないが、とんだ恥さらしをしていたのが面白いと言えば面白かった。
 ホントはただ面白がっているだけじゃダメなんだけど。
 
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