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2019年09月29日20:41

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最暗黒の東京

 今し方、ラズリの散歩で外に出た。まるで真夏が戻ってきたような陽差しと暑さだ。
 うちの周辺は未舗装の道があったり、幅員が4メートルに満たない道路とか人のすれ違いが憚れるような路地が数多くある、ということもあって、道路で遊んでいる子どもたちを数多く目にする。鬼ごっこやかくれんぼ、ボール蹴りとかバトミントン。
 今日は道にチョークで輪っかとか「いったん休み」を描いてそこを片足跳びで進むような遊戯をやっていた。ラズリを連れてそばを歩いていたら、子どもたちが集まって来て、ラズリの背中を撫で出した。
「パンダは汗、かかない」と3歳くらいの女の子が突如、ひとりごとを言ったのだが、指示代名詞がないため、それが上野のパンダなのかラズリを指しているのか、よくわからない。
 そのグループの最年長の女の子は10歳くらいか。うちにも犬がいるけどいろんな犬がいるよね、と話しかけられ、これも意味合いをイマイチ掴めず、私は頭の弱い子どものふりをして「はーーい」などと照れ笑いを返すにとどまった。子ども慣れしていないので、うまく会話できない私。

 昨日は「山と渓谷」10月号を買いがてら近所の本屋へ行った。土曜日の午後イチだというのに客が少ない。斜向かいにあるドラッグストアと違って、増税前に本を買い溜めしておこうなんて人はほぼいないだろうから、当たり前か。
 店内を歩き回って、こう言っちゃなんだが、新刊のセレクトは取次の配本パターンをただ受け入れているだけで、棚の作り方にもなんらの工夫がない、凡庸な中規模店だ。21世紀以前はこうじゃなかった。書店独自のオリジナリティが垣間見えたものだが、いまは文具と学校配本でなんとか経営が成り立っているに過ぎない田舎の本屋。新刊はなるたけアマゾンを使いたくない、というのは、街の書店の灯を消したくない思いからだ。老舗書店は本を売るプロであり、地方の文化土壌である、というような気概を感じさせて欲しい。配本部数が多い実用書を通り一遍に置くだけ、というのなら、誰でもできる。スーパーでさえもそれぞれが店のカラーを主張している。スーパーでさえも、という喩えは失礼か。本はなくても死なないが、食料品がないと生きていけないもんね。
『最暗黒の東京』(松原岩五郎著)を読んだ。1892年(明治25年)、「国民新聞」紙上で下層階級を取材したルポルタージュだ。貧民街、木賃宿、大衆食堂(残飯屋)、市場や屋台の探訪記で、東京の下町案内にもなっている。貧困実態は想定外の強烈さで、久しぶりにエミール・ゾラの小説を思い出した。ゾラが描いた下層階級でうごめいているパリの労働者や「淫売婦」は、家賃8千円のボロアパートに住んでる貧乏学生(私)がひっくり返るくらいに不潔で貧しかったのだが、それに輪を掛けたような悲惨さだった。ドブ溝からコメを掬って粥に仕立てたり、軍人住宅のゴミ箱から取ってきた野菜屑を使った料理がいっぱい出て来た。
 明治から大正、大正から昭和と、国の経済や社会の自由は多少の上下動を繰り返しながら落ちていく。その出発点を完膚なきまで描いたのが『最暗黒の東京』で、この先に時代は、日韓併合、米騒動、関東大震災、治安維持法と続いていく。その社会的土壌が少しわかった気がした。
 アマゾンビデオで昨年封切られた『菊とギロチン』が見られることがわかったので(500円)、今週、見てみよう。
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