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2019年09月22日19:51

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時が滲む朝

 黒岩比佐子さんの『忘れえぬ声を聴く』を読んでいて、「北京オリンピックの夏が終わった」という書き出しのエッセイがあった。
 北京五輪は2008年、中国にとっては国威発揚の重大な国家イベントであったが、日米欧にあっても中国がやがて世界の頂点に立とうとしている記念碑だと見ていた。そんなことはともかくとして、黒岩さんはエッセイの中でこの年芥川賞を受賞された楊逸(ヤン・イー)に言及していた。
 あ、1か月前(8月23日)に楊逸の『時が滲む朝』をブックオフで買ったぞ。
 カフェテーブルのそばに積ん読状態になっている本の中から見つけ出し、黒岩さんのエッセイ集を中断して、一気読みした。
 中国の田舎にいる2人の少年が主人公だ。1988年の7月、彼らは10人に1人が合格する難関「全国大学統一試験」を受け、見事に地方の名門・秦漢大学に合格する。夢にまで見た大学に入学し、勉学に励むと同時に一党独裁政権に疑問を持ち始め、民主化運動のデモや集会に参加するようになる。デモは政府の強権的な鎮圧にあって、終結する。が、2人はやけ酒を飲むために入った食堂で、運動を侮辱した労働者2名と乱闘を起こし、大学から退学処分を受ける。3カ月の拘留後、食うために日雇い仕事に就いた。うち一人は日本に渡り、アルバイトで生計を立てながらもまだ民主化運動を続けて行く……。
 こんな話なのだが、八九民主化運動の最後となったのが天安門事件で、読み進んでいくにつれて初めて、天安門事件に連なる名もなく地位もなく金もない「革命夢想家」を等身大に捉えていた。政治とか歴史といったある意味客観的な記述ではなく、そこに生きた人の夢や挫折や、その後の落魄していく人生……。
 楊逸が書いたあとがきにこんな一文があった。
「赤でもなく黒でもなく無名な小人物の方が、場合によってリーダー以上に時代に翻弄されたり、辛い運命を強いられたりする。そもそも中国の歴史では、ひたすら平穏な生活を望む「灰色」の小人物、すなわち庶民の運命というものは、権力を持つ偉人に思いつきで好き勝手に弄ばれても踏みにじられても良いことになっているように見受けられる」
 これは、何も中国に限ったことではなく、日本も同じだろう。
 楊逸は1989年、25歳だった。『時が滲む朝』の主人公は。1988年、18歳だったので、彼女のほうが6歳上だが、自分の分身をこの作品に反映させたのではないか、と思う。
 日本語を母国語としない作家として初めての芥川賞が楊逸でよかった。
 民主化を目指して運動をした若者が辿る12年という年月を、文庫本でわずか160ページの中編にまとめ上げた力量をひしと感じた。
 
 今日は昼から雨かな、と思っていたら、午後2時くらいまで晴天だった。暑くもなく寒くもなくで、体調不良の身には助かった。
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