コンテンポラリーばかりで観やすかった。
夏らしい涼やかな、でも濃い人間関係をすっきりと描いた公演になったのは、公演の芸術監督ボッレの采配が良かったのか。
しかしなにより公演タイトルのフェリ、ボッレの二人の「マルグリッドとアルマン」。
そこまではいわば前座。
どんなにいい小品でもこれだけ情動を含む王道作品にはかなわない。
前座達(失礼!)を観てると表現がどんどんミニマルな方向に来てると強く感じる。
勿論数十年前のおおらかな時代(今回のAプロならプティとかだ)には戻れないが、人の闇(病み)を抱えた作品が観ていて一番刺さるこの状況は何とも辛い。
しかし明らかにマッツ・エクよりも各作品は先鋭化・大衆化(これは大事だ。それを受け入れる観客の側も、その感覚を共有していると信じていたいから)してる。
だからどこかでこの表現の先のない袋小路の感じの出口が見えればいいんだが。
それが未だ、見えない。
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