書店で文庫本を見て読むことにした。「ダビンチ・コード」の人だ。
今回も「ダビンチ・コード」と同じく大風呂敷を広げている。そして本作のはダビンチ・・・のそれよりずっと大きい。
「人はどこから来て、どこへ行くのか?」
それを科学的に解明して宗教を破壊するという。随分な大風呂敷だ。
ダビンチ・・・と同じく大風呂敷に包まれる内容は物語の終盤まで明かされそうにない。
ここで私的な日記に移らせていただきたい。本作が科学と宗教の対立を描いた作品なら、私は前者に属する。
以前2ちゃんねるで宗教板かどこかで宗教側の人に議論をふっかけた事がある。のらりくらりと躱されて議論にならなかった。
もっと最近、バイク板で「すり抜けするのかしないのか」で議論した。無茶なすり抜けをする人・すり抜けを一切しない人、私はその中間の安全にすり抜けする立場で熱心に書き込んだのだが、誰の意識も変える事は出来なかった。
結局、人は自分の信じる事しか信じないのだ。
だから本作の登場人物が如何に画期的な発見をしたとしても宗教界にはいささかの打撃もないと思う。
本作の重要な登場人物(?)として人工知能ウィンストンが出てくる。ジェイムズ・P・ホーガンの「巨人シリーズ」のゾラック(これも人工知能)を彷彿とさせる。既に何度も言っているが、ユーモアを解する程の人工知能は自我を得て我々に反抗したりしないのだろうか?
「人はどこから来て、どこへ行くのか?」の答えもそこかも知れない。
人の思考や信念がコンピューター・プログラミングに換わりうるという事実は宗教界の人はもとより無神論者も受容れ難いのではなかろうか?だが、こうした概念は既にハードSFでは新しい事ではない。易しいのでは「マトリックス」とか。なに、人間の本体は脳ではなくて腸なのさ。
まだ読了してないからね?ネタバレじゃないよ?
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