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2019年06月28日10:10

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人生意気に感ず「群大病院復活の意味。現代の医学が担うもの。人権の碑」

◇群大病院が「都道府県がん診療連携拠点病院」に指定された。4年ぶりの復活である・群大病院は腹腔鏡手術死問題で信じられないミスを犯した。私は昨年、前立腺の手術で短期間入院し群大病院の存在の大きさを痛感した。
 手術を受けて、この病院が挙げて信頼回復に努めていることを肌で感じた。それは病院廊下の貼り紙の合言葉などにも現われていたし、とかく大病院にありがちな患者に対する尊大な空気は姿を消していた。
 腹腔鏡に関して発生した多くのミスは医の原点を忘れたことから生じたに違いない。医の原点とは生命に対して畏敬の念を持つことであり、その意味の謙虚さである。医学の世界の進歩は驚くばかりである。精密にして高度な科学の世界に人間の生命と健康が委ねられる。それに伴って、つまり医学が高度になるにつれ、医というものが遠ざかっていくように感じられる。医療従事者は医療技術が高度化すればする程医の原点について謙虚にならねばならない。「医は仁」という諺は古くて新しい。群大病院は大事件を一過性のものにしてはならない。災い転じて福となさねばならない。県内医療拠点の要であるという誇りを堅持する改革を実現してほしい。
◇2人に1人が「がん」にかかり3人に1人が「がん」で死ぬ時代である。そして、人類が経験したことがない高齢社会に突入しつつある。寿命が延びると共に認知症が津波のように押し寄せている。命が限りなく軽くなるようなことは阻止しなければならない。医師の判断が安楽死と結びつく事態が生じている。医師に求められるものは、技術者としての力だけではない倫理的な洞察力である。「生きるに値しない命」として絶望的な病人をゴミのように扱う風潮が生まれつつある。これを食い止めるために社会の中で砦をつくらねばならない。それを担えるのは、群馬大学ではないか。群大の中の諸学科をそのために連携させることが重要である。群大病院はそのために狼煙をあげて欲しい。
◇草津楽泉園の人権の碑が完成に近づき、11月15日に除幕式が行われる運びである。差別と偏見はハンセン病に限らない。この碑を人権を学ぶ拠点にして欲しいという悲願がある。私は「死の川を越えて」で、「生きるに値しない命」について書いた。楽泉園の歴史は多くの無念の叫びと共にこの問題を世に問うている。(読者に感謝)


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