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2019年06月26日10:06

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人生意気に感ず「不動の滝は何を語る。フンドシの少女。警鐘はこれでもかと響く」

◇赤城山深夜の豪雨は災害の時代に於ける深刻な事態であるが、私個人の問題にもつながった。この夏、7月28日の「滝業」が実現不能になったのだ。私は修行僧浅川熙信さんに誘われて棚下不動滝にチャレンジすることを決意し毎日水をかぶり備えていた。
 異常な豪雨により滝に至る遊歩道が落ちた。滝は信仰の場であり霊場であった。8年前の東日本大震災の際巨大な岩が落ち通れなくなり新設された遊歩道であった。不気味なものを感じた。昨夜電話で滝業のことを訊くと他の場所を検討しているとのことであった。褌(フンドシ)をつけて滝に打たれる私のイメージは惜しくも消えた。
◇24日、多くの留学生に「日本の大災害」と題して話をした。天災に限らず日本人が被った不幸という意味で話した。「歴史上最大の災害は何ですか」という問いかけにネパールの若者が「原爆です」と答えた。私は頷いて、原爆による敗戦から東日本大震災を説明し、そして近づく大地震に及んだ。
 沖縄戦での「白旗の少女」の話には皆が大いに関心を示した。杖に白い布をつけて歩く少女の写真はアメリカで話題になった。「この布はフンドシというものです」と言って私は裸の男性が「褌」を付けた絵を描いた。少女は地獄の戦場を逃げる中で小さな穴を見つけて潜り込むとそこには傷ついた老夫婦がいた。おじいさんは褌をはずし杖につけ少女に持たせると、「これを掲げれば敵は打たない、お前は生きなさい」と説得した。白旗の少女は実はフンドシの少女であった。戦争の悲惨さと平和の尊さを戦争を知らない世代に伝えたかった。この年、私は4歳で、8月5日前橋大空襲を母に手を引かれて逃げた。原爆投下は翌6日であった。
◇東日本大震災では、宮城県の大川小と岩手県の船越小の出来事を話した。一方は74人が津波にのまれ、他方は全員が助かった。大川小は校庭で40分も迷っていたが船越小では用務員が必死で裏山に登ることを訴えて助かったのだ。「首都直下型と南海トラフ型が刻々と近づいています。日本は地震の巣の上にいます」と説いて普段からの備えが必要であることを訴え。
◇私たちは忘却の達人である。東日本から8年、先日の新潟が地震は大きな警鐘であるに違いない。災害は忘れた頃にやってくる。安全神話にあぐらをかく私たちにこれでもかと警鐘は響く。(読者に感謝)

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