バシュラール『空間の詩学』読んでいると、
日常を愛するようになります。
いま、食事のあと、食器を洗っています。
後片付けは、機械が実行してくれればいいのに、と
便利な世の中の人は思ってしまいます。
『空間の詩学』の読者は違います。
自ら食器を洗うことは、家という空間に住まうことです。
生活そのものです。
全てが自動化された家に住むのは、果たして誰の人生を
生きているのでしょうか。
なんて言っていますが、10月中に『空間の詩学』を
読み終えるつもりだったのに、もう11月です。
10月中、ずっと持ち歩いていたので、『空間の詩学』は
ボロボロです。
背の書名も判読困難になっています。
思うに任せないのも人生です。
と、食器を洗いながら思うのです。
(ほんまか)
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