mixiユーザー(id:66120937)

2018年09月29日23:57

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文章を書くときに

文章を書く前に考える人、というのは実は少数派なんだろうか。
入試やバイト前の採用試験で、小論文みたいなのを書かされることがあった。お題を見て、そんなの考えたこともないわ、どうしようと思っているのに、周りでは、わりとすぐカシャカシャと鉛筆を動かす音が聞こえる。
ええー考える時間は?信じられない。
…もしかして問題知ってて用意して来た?そんな訳はない。どうなっているのだろう。

バイトの試験の後には「だいぶ詰まってましたね」と言われたが、いや、詰まってたって何が?と思った。見てすぐ書かないと、詰まってたと思われるらしい。

小論文以外の国語の試験は得意だった。長文読解問題は、まず文章をゆっくり読むことから始まる。じっくり読んで納得してから初めて問題を見る。
論説文でも、文学作品でも、ぱっきり答えが決まるような問題しか出ない。文学だから曖昧なんてことはない。
いくつも解答があり得るのに一つしか認めない、そんな問題があるとすれば、問題がおかしい。でもたいがい答えは文の中にある。なかったら問題にしない。

先に問題を見ないのは、そうすると訳が分からなくなってしまうからだ。答えを探すために文章を読むと、全体の意味が読み取れない。

国語なら満点に近い点数が取れるのに、作文はからきしダメで、文字数が埋まらない。書いても、子どもの「えにっき」みたいになってしまう。大学の卒論も、あらすじと人の論文のダイジェストに少し感想を足したくらいの、内容のない恥ずかしいものだったな…よく卒業させてもらえたもんだと思う。

メールの返事も遅い。あまり長いと重いなと、短くするとそっけないな、と書いては直す。深刻にしないでね、と思いながら演出を加える。やりすぎて意味不明になる。たくさん書いてはたくさん削る、送る頃には、内容を宙で言えるくらいになる。
うちの妹はメールを書くのが速い。どうなっているんだろうと思う。それで自然な感じに書けるのだから、すごいなと思う。

あまり時間がなくて、要点だけササッと送ったら、あとで「元気がなかったようだけど、大丈夫?」と心配されたことがあった。そうなってしまうんだな、普通はそんなにダイレクトに文章に気持ちが出るものなのか、と思う。


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